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第九章 鳴き砂と石臼は親類 
 京都府網野町の琴引浜は鳴き砂で有名である。そこに2002年の十月に、琴引浜鳴き砂文化館がオープンした。こうして砂もようやく文化の仲間入りした。建物は日本ナショナルトラストの肝煎りで作られ、付近の民家に調和する純木造建物になっている。  

9.1 砂が鳴くなんてウソだ 
 私が「鳴き砂と言うものを初めて知ったのは、テレビで仙台在住の高校の先生が「東北には砂が鳴く浜がたくさんある」と話していたのを聞いたのに始まる。大学で「砂が鳴くってなんだろう。」と学生たちに話したら、ある学生が網野町にもありますよ」という。「そんなバカな。砂が鳴くもんか。ザクザクというだけだ。」というと、そんなら親父に頼んで送ってもらいますよ」。
 真冬だったが、親父さんは大雪の中を、息子のいうことだからと、浜へ出てたくさんの砂を送ってくれた。さっそく息子は研究室で鳴かそうとするが、いっこうに音が出る気配がない。回りにいた学生たちに笑われて彼は残念がった。「おかしいな。音が出るのに。春になったら行って見て下さいよ」。と言って彼はその春卒業した。1971年卒、田中哲三君という。その後彼の消息は不明のまま。(私に初めて鳴き砂を教えてくれた大切な恩人だが、網野町役場に聞いてもそのような名前の人はいないと。親父さんは転勤の多い勤め人か、それともヒョッとしたら琴引浜の守護神白滝大明神の化身では?と。
 1972年の春が来て、私は初めて琴引浜へゆくことにした。訪問日は不詳だが、そのとき浜へ一歩を踏み入れたときの感触は忘れることができない。ブー、ブー、ブー。 「おや?おや?おやおや?」十人くらいいた学生たちが、不思議な感触に誘われて驚きの声はいつのまにか、揃って踊り出し、調子を合わせてしばらく踊りながら歩きまわった。この話は中央部の太鼓浜でのことだが、現在の浜辺では信じられないようなよき時代(1970年代)のオトギ話である。           
11.2 大自然は巨大な石臼である              
琴引浜で見たビーチ渦それを機械的に再現する発想(ミリングマシン)

 なぜ鳴き砂が石臼の親戚なのか。これは長い間気付かなかった。あるとき私は冬の琴引浜に立って打ち寄せる波を見つめていて、上図のような波の運動を見た。遠洋から続々浜辺に押し寄せる荒波が、浜辺に激しくぶつかって砕ける様を詳しく見ると、逆流域が存在する。砂浜に駆け登っていった水が逆流し、次に押し寄せる波とぶつかって激しい回転流が生じているのだ。下手な和訳はしないほうがいいが、仮にビーチ渦と呼ぶ。この回転流が砂洗浄の場という発見である。こういう波の渦の速度はだいたい秒速数メートルを越えることはない。つまり渦流の中で砂粒同士が水を介してゆっくりこすれあうことだ。このあたりも、石臼そのものである。この鳴き砂生成の秘密は、英語でミリングという。適当な日本語が見つからないので、カナ書きだが、上の図解を見ていただくと、なるほどと分かっていただけると思う。セメント工場などで見かけるボールミルと呼ばれる回転する機械がある。工場では鋼の球をいれて轟音をあげて動いている。これは搗き臼の機械化の極限である。19世紀的機械だから恥ずかしいからと、ハイテク大企業の下請けの工場では山奥の秘密の工場で実際に動いているのを見たことがある。何に使うかは知らされていないが、シリコン ウエハー用らしいと。原料はインドやブラジルやオーストラリアから来る。これを機械処理していた。一かけらの原料石英を「火打ち用にちょうだい」と言ったら「あんたそれなんぼすると思う。まあいいや」とポケットに入れてくれた。

 この石を粉砕して人工鳴き砂を作ってみた。長い時間がかかったが、見事に鳴き砂になった。生成した砂は浜辺の砂のように丸められていないが、ちゃんと鳴く。これは貴重な試料だから鳴き砂文化館で保管してある。これで浜辺の鳴き砂だけ見て粒子の形が丸められているのが鳴き砂の必要条件ではないことが分かった。いままで多くの研究者たちが言っていたことだが実験的に完全に否定された。純粋な石英ではなくても、たとえば珪岩でも物凄い長い時間をかて洗えば鳴いた。これも鳴き砂文化館で保管している。

9.2 無定形シリカの生成が洗浄の基礎だった

 上記のミリングを円筒状容器内で、砂と水をゆっくり回転させても同じことだ。決め手は砂粒同士のゆっくりした擦れあいだ。鳴き砂の砂粒は石英結晶である。一般に石英同士を刃物を研ぐようにゆっくりこすりあわせると、アモルフォスシリカ(無定形シリカ)ができるというのは、化学の常識だ。これを熱心に実験的に研究しておられたのは沢畠恭先生(理研研究員で富山大学へ移られた)であったが若くして亡くなられて続きを聞く機会を逸した。石英片を刃物を研ぐ要領で擦り合わせる気の長い実験だった。アモルフォスシリカはわずかに水に溶ける性質がある。こうしているとアモルフォスシリカが生成するが、わずかに水に溶ける性質がある。
 ここまで書けば勘のいい方は「わかった」という。鳴き砂はただ水であらうだけでは、鳴き砂にならない理由がわかるはずだ。しかも砂の表面が異様に光っている秘密も溶けたシリカが再結晶するのだ。瞬間的に溶けたシリカがすぐもとにもどる。それが繰り返されると、砂の表面は薄い純粋な石英面で覆われるわけだ。

9.3 なぜ砂が鳴くか
 これはマスコミが必ず発する質問だ。「それは愚問だから聞くな」というが引っ込まない。「それならじっと聞く気があるか」というと「視聴者は長い話ではソッポを向くから駄目だ。うそでもいいから一口で答えてくれ」という。テレビ視聴者はバカらしい。いつもこのやりとりがあるので、最近は「なぜ鳴くかと聞くな」とはじめから釘をさしておく。
 どこが難しいかというと、砂の「表面摩擦係数」それも「静摩擦係数と動摩擦係数への瞬間的移行の繰り返し」という一見難しそうな物理学語が出てくるためだ。動摩擦係数は静摩擦係数よりずっと小さいことも予備知識として必要である。著書はテレビではないから、話を続けることにしよう。
 海の波が砂を洗うとき、表面を溶かして、再びもとにもどすことを繰り返しているときに、砂の表面摩擦係数の変化を起こしているのだ。だから鳴き砂に足をつっこむと砂はしばしその圧力に耐えることができる。さらに圧力がかかり続けると、砂は耐えられなくなって、動く。動くのは摩擦係数が動摩擦係数に瞬間的に変わったわけだ。ところが、動いた瞬間、圧力が消えるから静摩擦係数になり、動きが止まる。これの繰り返しが音の振動源になるわけだ。これは鳴き砂をポリ袋にいれて外からそっと指で押してみると指で感ずることができる。こういう現象をステック・スリップ現象(段々辷り現象)という。
 
 ここまでくるとさすがの読書好きの読者でもソッポを向けたくなるが、もう少し我慢してほしい。なぜ鳴くかと聞くのでなく、「どうすれば鳴かない砂を鳴かせられるか。」と問えばよいのである。設問の仕方がわるいのだ。こういうことは子供たちに科学的思考を教えるとき大切なことであろう。鳴き砂文化館ではこの鳴き砂を作る機械を展示し動かせるようにして展示している。

9.4 水車で回して鳴き砂を作る 
 山形県西置賜郡飯豊町へ石臼調査に行ったとき、真っ白な砂が流れ出している川があった。白川という。そこに珪砂工場を建設しようとしている会社があった。その地質調査資料を手に入れて砂とともに私に送ってくれたのは島岡舜一(愛知県在住)さんだった。それによるとその地層は鮮新世で500万年から300万年まえという。その砂を顕微鏡で覗いて驚いた。まぎれもなく鳴き砂。ただし粘土が混じっている。よし洗おう、

洗って鳴き砂になった飯豊の砂

 

山形県西置賜郡飯豊町が2000年に建設し水車利用の鳴き砂製造機

 大自然のまねをしようとするのだから、ちょっとややそっとではできない。モータで回すと、実働40日は連続運転しなくてはならない。しかも途中で水かえの手数がかかる。電気代もたいへんだからと、山形県飯豊町では水車で回転させている。手間賃は気にしない館石 茂さん(陶芸師)が片手間にやっている。
 鳴き砂の縮刷版的知識である。搗き臼も石臼も臼類学に統一されたことの延長線上で生まれた発見である。学問は果てしない。

9.5 日本列島は鳴き砂列島だった話から地球を覆うことになった

 日本列島には一直線に鳴き砂があるという話は次第に発展して遂には地球を半周しそうになっている。理由は不明だがこれは事実だから仕方ない。

1. 1968年 橋本万平氏(神戸大学教授)が指摘(地学研究,第10巻2号,42(1968)
2. 1980年 新潟県西蒲原郡巻町角海浜が鳴き砂と確定 (東京在大倉陽子氏-著書p.205参照)
3. 1982年 山形県西置賜郡飯豊町遅谷で太古の鳴き砂発見(著書p.212参照)
4. 1995年 日本最南端 福岡県二丈町で鳴き砂発見
5. 2001年  沖縄・西表島の月ケ浜で鳴き砂発見(石垣市在住 井川真理子さん情報)
6. 1990年 中国の王 勇氏が直線の延長を提案(人民日報に厦門の鳴き砂記事)
7. 1991年 台湾西岸に鳴き砂(鄭 清文氏の創作童話『阿里山の神木』 (研文出版)
8. 1994年 カムラン湾の鳴き砂確認(三輪)
9. 1995年8月 タイ国 ホアヒンの鳴き砂調査(神戸の米澤晋彦氏)
10. 1996年8月 ベトナムで2つの優秀な鳴き砂発見 (神戸の米澤晋彦氏)

11 996年3月 タイを訪問し一直線上に鳴き砂発見

12. 2001年2 日本列島最南端の西表島のトゥドゥマリ浜に鳴き砂ありの情報(井川真理子さん)

13. 2002年1月 アフリカ マダガスカル島で鳴き砂発見情報 現地在住の田村忠広氏よりメールで Fort Dauphinの海岸
これで地球をほぼ半周して存在しました。 なぜそうなのかは分かりません。

 

11.6 石臼挽き黄な粉の話
 鳴き砂と石臼は親類だと言ったことのまとめにこの話を付け加えておく。 200

 ここでは石臼挽きによる黄な粉製造も行われていて、2004年には日本石臼学会のシンポジウムも・・・・。ここの黄な粉は琴引浜の砂で炒るところがミソで、よそでは真似できないところがすごい。(ただし浜の鳴き砂は天然記念物で採取できないし、そのままでは使えない。後述)。私はかってここで地元の老人からそれを聞き、実験してみて驚いた。フライパンで普通のように炒ると皮が焦げて黄な粉に苦味がでるが、砂の中で掻き混ぜながら炒ると、焦げないから本当の豆の味が出る。香りも抜群だ。鳴き砂はきれいだから黄な粉が挽けるのだと。
 おなじ鳴き砂の島根の琴ケ浜の砂でやったら、いつまでたっても炒れない。おかしいと思ったが、砂が細かすぎるらしい。水分が砂の粒子間に籠ってすまう。琴引浜の砂粒は世界一大きい。焙じ茶を炒るには伊豆のもっと粗い砂が良いと聞くし、焼き芋はもっと大きい小石がよいのによく似た話だ。「何故だ」と聞かれると正確な説明はできないままだ。粒子状物質の熱伝動率の違いもあるがデータがない。民俗にはすごい人知の歴史が込められている。しかし現地ではその記憶がほとんど忘れられかかっていた。私はやろうというが、本当に動き出すには時間がかかるようだ。そもそも石臼の目立て師が不在だ。私が道具を持参して目立する結果になった。

 ところが試作品には砂が混入していいると苦情が来た。砂は大豆と砂粒を分けるに使う網目は粗い目のを使う。これで完全に分離される筈なのに、なぜ?何のことはない出来た黄な粉を近くにあった絹あみでふるい分けた。市販の黄な粉を見ているのでそれに合わせようとしたのだ。

 

  さきに述べた大学での年末の餅つきのとき、学生たちに「黄粉を準備しろ」と命ずると、いちように不思議な顔をする。「え?黄粉なんて、店で買ってくるんじゃないんですか?そこで私は「当研究室は粉体工学研究室だよ。大豆を買ってきて、炒って、石臼で挽くんだ」。それを聞くと学生たちは「へえー、黄粉の素は大豆なんですか。知らなかった。」と意外な返答に、私の方があきれてしまったものだ。無理もない。加工食品万能時代なんだ。
 さて、でき上った黄粉を見て、「こんなにザラザラしてもいいんですか。店で売っているものはもっと細かくて、もっと褐色ですよ。」とまたまた驚きの目を見はる。ところが食べる段になると、今度は「黄粉って、こんなに香ばしいものとは知らなかった」とくる。黄粉の粒子は、それぞれ味と香りのバリエーションを担っている。粗い粒子は粗いなりに、細かい粒子は細かいなりに、独特の味と香りと舌ざわりの重要な役割を分担し合っているのである。ところが、店で売っているのは一様に細かい。なぜだろうか。
黄粉の粒度の比較
 それはロール製粉機のために細かくなってしまうのと、もうひとつは、細かい方が袋に入れたときの見ばえがよいからだ。黄粉のほんとうの味を知らない素人は、ザラザラしていると粗悪品と勘ちがいするらしいのだ。本当は細かすぎると粉っぽくてまずい。

 

 上表は、スーパーで売っている黄粉と、新幹線で売っていた安倍川餅製造工場へ納入した私の石臼器械の石臼挽き黄粉の粒度を比較したものである。これくらいの粒度が舌ざわりもいいと思うが、好みによってはもう少し粗くてもよかろうと思う。
 参考のため、上記の粒度について、説明しておく。黄粉のような粉末の粒度を、もっとも手っとりばやく測定する方法は、標準ふるい(JIS)である。しかし、ステンレスや、真ちゅう網では目が詰まって、ふるいにくい。こういう食品には、私が会社時代に開発した、塩ビ枠、スタンダードナイロン・シーブが最適である。水洗が可能であり、目詰りは専用電動ブラシが有効である。(メーカー:東京・筒井理化学器械)。ところで、表のふるい目開きは、当時の1982年改正のISOに準じたJISの値である。
 これは、黄粉の歯ざわりに顕著な役割を果しており、「豆をたべているなあ」という感じを与える。一方、スーパーのはこの粗粒がないから、舌にべったりつき、粉っぽい感じである。図は両方の黄粉を、双眼実体顕微鏡でみたときのスケッチである。いずれも大きい粒子に、細かい粒子がまぶされた姿であるが、全く印象がちがう。ことに、スーパーの粉には、うすい板っぺら状の粒子が含まれ、また真黒い粒子も含まれている。これらは豆の皮である。その代り、色が褐色になっている。石臼挽の場合は、炒ってから皮を除去している。そのため、板っぺら状の粒子がなく、これが、色を黄色(金色)にし、舌ざわりもよく、粉っぽさがない。石臼挽に比し、スーパーのは、それが三倍近く含まれている。これでは粉っぽいわけだ。
 その後のことは知らないが、静岡駅の駅ビルの一階の食品店に、石臼挽の黄粉を販売していた。商品名「金な粉」とあった。そして私が開発した電動式の石臼が展示され、石臼挽の実演もやっていた。さきに示した表の石臼挽は、この粉のデータである。

 この機械の設計を社長から頼まれ た当時、私は蕎麦には自信があったが、黄粉は油分が多いのでたいへんむつかしかった。目立てには特別の工夫がいるので、随分、実験をくりかえしたものである。このとき実験用に直径10cmの小型石臼を新しく作った。回転速度も特に遅くしないと、よい粉が挽けない。石臼の溝に油っぽい粉がつまると、粉が出なくなるばかりか、粉が熱をもってきて、味がまずくなる。香りも飛ぶ。黄粉には豆の産地を選ぶことも大切である。飼料用の外国産大豆では、とうてい、うまい黄粉はつくれない。また、炒り方も大切である。フライパンで炒ったのでは、炒りムラができ、均一に炒れない。

 私は石焼き芋の要領で、大豆より細かい鳴き砂で琴引浜の鳴き砂が使われていることを、網野町で聞いた。実際にやって見て、古人の知恵に感嘆した。確かにここの砂は丁度よい粒度が含まれている。ただし鳴き砂ならなんでもよい訳ではない。また細かい部分はふるい分けして除去しておく必要があった。あとですなを大豆より小さいふるいでふるい分ける。熱媒体法という。ふるいは金網では目詰まりした砂がとれないから、使い物にならない。絹網がよい。ナイロンはダメだ。かなりのノウハウが要るので、琴引浜鳴き砂文化館あたりで、販売してくれたらと思う。浜砂は天然記念物で採取できないが、会館付近の砂を原料にすればよい。
 皮は荒くだきしてから、皮を風選で除去する。これも専用の機械が開発されている。

 ところで、私の友人に、鶯を飼う名人がいた。野生の鶯を捕えてきて黄な粉入りの練り餌で育て、コンクールに出る。この男も、私に石臼をつくってくれという。彼の注文はひときわむつかしい。「とにかくよい声が出る粉をつくれるようにしてくれ」という。これは難題だが、「よい粉をつくれば、うまいから、よく食べてくれるし、声もよくなるにちがいない」と考えて、挑戦してみた。この方は鶯が食べるだけずつ、少し挽くのだから、小型でなければならぬ。臼の溝にたくさん残っても困る。直径15cmぐらいの小型の石臼は、昔の道具ではとうてい作れそうもない。強く叩けば石が割れてしまうからだ。そこで特注のダイヤモンドエ具を製作して対処した。世が世なら、鶯好きの殿様に献上すれば、おほめをいただけそうな品物になった。さて、この臼で挽いた黄粉は大成功だった。彼は毎日、欠かさずこれで鶯を育て、自慢の声を楽しんでいる。現代風のぜいたくで、本物指向の粋な生活はこの辺にあるのかも知れない。味も香りも失われた加工食品を食べていると、声までだめになるようだ。石臼挽のお話をすると、必ず質問される事項を次に問答形式で示しておく。

問「私の家に古い石臼があります。目立て法を教えて下さい」
答「一週間程、私の研究室へ弟子入りして下さい。本をよむだけではとても無理です。」
問「石臼を目立てしてくれる所を紹介して下さい」。
答「ないわけではありませんが、古い臼では、嫌やがられるでしょう。石屋さんの中にはやってくれる人もいますが、その前に、こう聞いてみて下さい。"目立てとはドレッシングのことだそうですね"と。この問の意味が通じなければ、彼は、粉を挽いた経験のない昔流の石屋さんです。
問「古い石臼を役立てる方法はありませんか」
答「昔の石臼は、昔の生活様式に合ったものでしたが、現代には合いません。私のは今様の石臼です。加工方法も、道具も、石材も、全くちがっています。そうでなくては進歩もないし、昔の人に笑われますよ。
問「どこが昔と違うのですか」
答 「目立ての精度が著しく向上しています。また粉に応じて、目立て方法が違います。上下臼の磨りあわせ精度も著しく向上しました(五十分の一ミリ)。石材に限らず、最近ではニューセラミックスの石臼だの、積層式の石臼だのが登場しています。 

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