リンク:リンク:第1章 序-砂が鳴く第2章 古代の怪異第4章 琴引浜第5章 蝮が番人だった浜第6章 原発t第7章 伝説第8章謎の一直線第9章 幻の鳴き砂浜|第10章科学|あとがき|増補分


第3章  鳴き砂に魅せられた人々

ここは古い墓地で

   風がたえずこの不毛の地をよぎって吹き

     珊瑚の砂で埋まる。

       風向きによって、犬の吠えるような

          不思議な泣き声が聞えてくるからである。

             それは死人のさまえる魂なのだという

                G.W.ベーテス

 チャールズ・ダーウィン

 シナイ半島の鐘の山を、ゼーツェン(Seetzen)や工ーレンベルグ(Ehrenberg)が訪ねた少しあと、進化論で有名なダーウィン(Darwin)は、1831年から1836年にかけて、軍艦ピーグル号に乗りこみ、南アメリカ大陸、南太平洋、インド洋の諸島をめぐり、各地の動植物や古生物の化石などを観察、採集した。この大旅行は、のちに生物進化論をまとめるきっかけになったが、その日記風の記録『ピーグル号航海記』に、不思議な砂の話が出ている。ブラジルでのこと。

 「ソセーゴを去って、初めの2日間は往路を再び通った。路は概して海岸からあまり遠くない。眼もくらむ暑い砂原を通るので、はなはだ疲れる仕事だった。馬が細かな珪酸質の砂に脚をふみこむごとに、虫の鳴くような、しずかな音がするのに気がついた」(1832年4月19日、リォデジャネィロにて)

 

 
図3-1 南アメリカ

    この小さな現象にも注意して記録にとどめているのは、さすがダーウィンだが、その3年後、南米のチリーで再び同じ現象に出会った。しかもそれはもっと大規模なものであった。

 「7月1日にはコピアポの谷に達した。新鮮なクローバーの香は、不毛の乾燥したデスポブラドの香のない空気の後では、全くうれしいものだった。町にとどまっている間に、私は数名の住人から、付近のある山にあるエル ブラマドール(El Bramador)すなわち唸るもの、あるいは吠えるものと呼ばれるものの話を聞いた。私はその時、この話をよく注意していなかった。しかし私の承知した限りでは、その山は砂でおおわれており、人が登って砂に運動を与えた時だけ、音が出るのである。紅海に近いシナイ山で多くの旅人が聞いた音の原因については、ゼーツェン(Seetzen)と工ーレンベルクとの権威において、同じ事情が詳しく叙述されている

 (前章の参照文献3のことで、ダーウィンはそれを読んでいた)。

 私と話したある男は、自分でその音を聞いていて、非常に不思議なものとして述べた。彼が明言したところによると、彼には原因がよく解らなかったが、とにかく下り坂に砂を転落させることが必要だという。馬が乾いた粗い秒の上を歩けば、砂粒の摩擦のために、独特た鳴くような音を出す。これは私がブラジルの海岸で、いく度か気づいたことである」(1835年6月29目、北チリーにて)

 しかし残念たことにダーウィンは、話を聞くにとどまり、現地を確認していない。これは私の勝手な推測だが、もし彼がこの驚くべき現象を体験していたら、その記録はもっと迫力に富むものになっていたにちがいないし、それどころか、彼は白砂の歌に魅せられ、生物進化諭などやめてしまったかも知れない。

 ところで、それから数十年後、この地を訪ねた人がいる。アメリカ・ケンタツキー州のM.H.Grayである。その報告(文献2)から、もう少しくわしい情報が得られる。

 「コピアポの町の西方3ー5キロ、私の記憶では鉄道から南へ約800メートルいったところに、凸凹の丘陵地帯があり、谷とよぶには余りにも小さい峡谷に砂が海の風によって吹き寄せられている。乾いた砂が堆積し、その斜面は辛うじて平衡を保っているが、ちょっと動かせば崩れる。この場所のことを、この地では(El  Punto del  Diabolo)と呼び、迷信深い地元の人たちは、この場所に寄りつかない。風と気侯条件によっては、ひくい唸り声を発し、約400メートルはなれていても、この音を聞くことができる。もっとも、こういう条件にはめったに遭遇できない。これは是非訪ねてみる価値ありと考え、この地のイギリス領事、エドワードとともに、そこへいってみた。

 現地に着いてみると、砂は全く静かであったが、その砂の斜面を崩してみると唸りが生じ、その音は次第に大きくなった。砂が辷るにつれて音量は増した。響きが増したときには私たちは、ぐらついて、バランスが保てなかった。私も彼も聞いたことであるが、この砂の振動で古い銀山が壊れたことがあるという。その振動が古い作業場の屋根を襲ったのはもっともだという印象であった。この砂の下の大地には穴があいているのかどうかについては知らない。私はこの現象の理論的説明を試みてみたが、満足な解はえられたかった」

 すごい振動である。こんなことがあり得るのだろうか。本章の終りのほうまで読んでいただくと、これをブーミング・サンド(唸る砂)と呼び、世界中でたくさん発見されており、けっして誇張ではないことがわかるはずだ。

 H.D.ソロー(アメリカ)

 19世紀、アメリカの詩人で、思想家だったソロー(文献4)(Henry David Thoreau,1817-1862)はその日記に、こう書いている。「マンチェスター村(Manchester)の東南1マイルに、ミュージカル・サンドがある。イーグルヘッドの東側にも、もっと小さい浜だが同様の砂をみつげた。洋傘か指先で速かに、そして強く引っ掻いてみたとき、はじめてその音に気付いた。踵(かかと)で強くひきずりながら砂を引っ掻げばもっと大きた音になった。Rさんという人は砂の音を聞いてはいないのだが、その音は濡れたグラスを指でこするときのようたものだといったが、概ね当っている。私はテーブルにワックスをぬるときの音にそっくりだと思う。砂の音は一つの砂粒が他の砂粒とこすれ合うときのきしり音、すなわちスキーキング・サウンドである。特別に調製され構成された砂粒の摩擦の結果にほかならないと思う。波は荒く、大きな騒音があったが、それでも仲間の踵にょって発する音を、10メートルもはなれていて聞くことができた。波静かなときには20メートル余りはなれていても聞こえるにちがいない」


図3-2 ソローが活躍した地方はニューヨークの北東だった

図3-2 Thoreauが活躍した地方はニューヨークの東北東だった

 このThoreauの記述は、砂が音を出す原因について科学的説明を試みた最も古い文献のひとつであるし、私が知る限りでは、アメリカで、ミュージカル.サンドについて書かれた最も古い記録である。同じ時代のアメリカの詩人、思想家エマソン(Ralph Waldo Emerson,1802-1882)は、自然を通して人が神と交わる喜びを語ったが、Thoreauはこのエマソンの影響を強く受けた人である。しかし一面、きわめて客観的、科学的に自然現象を観察する博物学者(ナチュラリスト)でもあった。ミュージカル・サンド発見の記述はその典型で、発音のメカニズムについても鋭い考察をしている。なお余談になるが、彼の科学者観はきわめて示唆に富んでいるので、次に引用しておくことにしょう。

 「真の科学者は、たぐいまれなインディアンの叡知を持ち、余人より恵まれたからだ体の作りのおかげで、自然をよりよく知るであろう。彼の嗅覚、味覚、視覚、聴覚、触覚はよりすぐれたものである。彼の経験はより深い、より微妙なものとなろう。ぼくたちは、推論や演繹、数学を哲学に適用することなどから学ぶのではない。自然との直接の交わりから学ぶのだ。…ぽくたちは整然たる方法とか装置によって真理を知るのではない。……もっとも科学的な人間とは、もっとも健康な人間であるべきだ」(1840年10月11日の日記(文献4))

 なお、彼の旅行記『コッド岬』を読むと、ことに浜砂についての深い関心が示されており、ミュージカル・サンドの発見が深く彼の科学者観に根ざし、けっして気まぐれなものではなかったように思われる。

Hugh Miller(1802-1856).(イギリス)

 Thoreauが、ミュージカル・サンドについて日記に書きとめた1858(文献5)年に,イギリスでは、Millerが書いた『ベツシーの旅(The Cruise of the Betsy)』という本が出版され、このなかにミュージカル・サンド発見の模様がいきいきと描かれていた(文献6)のは、遇然ながら、不思議な一致であった。


図3-3 イギリスの主なミュージカル サンド(×印)その他の地名は文献で話題に出る場所

 「私の仲間が砂の上を歩くと、特別な音がするのに気づいた。足で斜めに砂をけった。その砂の表面は日光で乾き、サラサラで、発する音はかん高い楽音であった。その音はワックスを塗った弦を歯にくわえて、ぴんと引っ張り、人差指の爪で軽く打つときの音にそっくりだった。私は砂の上を一足ごとに斜めにけりながら歩きまわったが、けるたびにかん高い音がくりかえされた。私の仲間たちは私に従い、みんなでコンサートをやったが、そうしているうちに、もしかしたら、バラエティに乏しい音調ながら、この種の音の出る楽器で、少なくとも、全ヨーロッパぐらいは向うにまわして挑戦できるかも知れないと考えるようになった。ライグ湾にあるこの魚卵岩の砂に比べたら、メムノンの花こう岩の、ミュージツク(2章末参照)ははるかに劣るにちがいないと思われた」

図3-4 アイグ島付近

 彼は、スコツトランドのヘブリジーズ諸島の小島、アイグ島(Eigg)、ライグ湾の地質調査に出かけて、魚卵岩(オーライト)の地層から出た砂がミュージカル.サンドであることを発見した。そしてこう続けている。

 「私たちが乾いた砂の上へ行進してゆくと、たえまないwoo woo wooという音が砂の表面からおこり、静かなときには20-30メートルもはなれたところから聞くことができた。7-10セソチぐらい下に湿った、やや付着性のある砂層がある場所の、乾いたサラサラした砂は鋭敏で、最大の音を発し、足で容易に音を出すことができた。われわれの発見(私はそう考えてよいと信じているのだが)は、すでに知られているミュージカル・サンドの二つの場所、すなわち、シナイ半島のジェベル・ナクーと、アフガニスタンのレグ・ルワンに、第三の場所をっけ加えたのである。このアイグ島はそれらに比べればはるかに近づきやすいから、偉い科学者たちが説明に困ったこの現象を調べるのに便利である」
 ソローの ミュージカル.サンド発見が、鋭いナチュラリストとしての彼の素質に負っているように、ヒューミラーの発見もまた非凡な自然観察眼がそこにあった。

 そこで少し本筋からそれるが、ミラーの生い立ちを紹介することにしよう。1802年10月10日、父ヒュー、ミラーのセカンドワイフ、Haririetの子として生まれ、父の名をそっくり襲名した。父はスカンジナピア系の船乗りだったが、彼が五歳のとき貿易船で難破し、すべての乗組員とともにこの世を去った。彼の母は、ロス州のケルト族の間では永く記録に残った、哲人であり予言者であったDonald Ross(またはRoy)の曾孫娘であった。この数奇な血統を受け継いだミラーは、子供の頃から、鋭い自然観察者であり、貝や石の収集家であると同時に、文学にも深い関心を示していた。しかし、学校に通うようになると、手に負えない頑固さで教師と激しくわたり合い、痛烈な詩句をつかって復讐するのであった。粗暴で扱いにくい彼は、仲間たちを誘ってごろつき集団をつくったり、果樹園泥棒を働いたりする暴力少年だったが、一方では仲間たちと読書や作詩愛好グループを組織し、『村の観察者(Village Observer』という少年誌の編集もした。ところが17歳になると、急に心を入れかえて、石工の徒弟奉公に入り、模範職人になった。石工という彼の職業は、彼の心に科学的特質を育てあげた。彼ははじめての採石場で、リツプルマーク(ripple-markes)(地質学用語、漣痕、砂岩が堆積した頃,波の漣動によって砂の粒予がゆり動かされ,海底面にできた波状の構造が地層中に化石のようにして保存されたもの。)を発見し、採石工になるには地質学が必要なことを悟った。20歳で年季が明け、一人前の石工になると、スコットランドの各地を巡って技を磨き上げた。彼にとって巡業は地質調査旅行でもあり、常に観察、考察、記録を続けていた。また一方ではキリスト教信仰に打ちこみ、教会の自由のために闘い、あるいは著名な文学者たちとも交友して、27歳のときには『石工が余暇に書いた詩』を出版した。

 さて1911年になって、イギリスのC.Carus-Wilsonがアイグ島を訪ねたが、この頃はなにかの理由で状況が変わっていたらしく、こう書いている。

 「ライグ湾にミュージカル・サンドは存在せず、私が確かめた限りでは、この島の住人は誰一人として、その事実を記憶していなかった。現在の砂質的条件は、その存在の可能性を完全に妨げている。ライグ湾の北へ岸に沿って約2.5キロのところの小さな湾(Camas Sgiotaig)にはたしかに、ミュージカル・サンドがあった。この湾は崖から海へ突出た石灰質の砂洲により二つに分断されている。その両側、ことに崖に密接して白い石英砂が蓄積しており、ここがアイグ島にただ一か所存在するミュージカル・サンドである。この砂は石灰質砂岩から供給されており、その岩の割れ目や凹所にたまっている」(文献9)。
 しかし、1962年の記録によると、やはりライグ湾にあると書いてある。シンギング・サンド「歌い砂の島ーこの砂は島の北西の、小さな町ライグと少し人口の多い町クリースデールの間に美しい弧を描いているライグ湾にある。ライグ湾の砂は晴天に踏むと、足下で歌うような音がする。しかし湿っているときや、波が引いた直後には沈黙している。熱い日や乾燥した日にはよく音を発するが、隣のラム島の山頂を横切る雲から夕立が来るとただちに音を発しなくなる。しばらくして、太陽と風が歌う性質を回復する。最高の条件は夏か秋の暑い静かな日で、そのときは波も引き、風の音も波の音もない」

C・ボルトン博±


図3-5 アメリカのミュージカル サンド(×印)とブーミング サンド(黒丸)

 

 さきに述べたように19世紀の中頃、H・D・ソローは、ミュージカル・サンドに注目したが、それから20数年後、二人の地質学者がこの砂の魅力にとりつかれた。H・C・ボルトソ博士と、A・A・ジュリーソ博士の二人である。彼らは、アメリカ全土はいうまでもなく、諸外国にも足をのばして、、ミュージカル・サンド探訪の大旅行をし、ニューヨーク科学アカデミーで報告している。いまから約100年前のことである(文献10)。当時の交通事情を考, 庵dえ合せると、並たいていのことではなく、後世の学者が「熱狂的な研究」と評するのは当然かも知れない。地質学にとって特に意味があるわけではなかったから、学会で注目を引くこともなく、さりとて何かの利益に結びつくこともないテーマを追って、情熱と執念に生きた二人の地質学者は、さきに示したソローの科学者観を育てた19世紀アメリカの、健康な科学的母胎が生んだ傑作である。その最初の研究は、1883年にニューヨーク科学アカデミーのミネアポリス大会で発表された。以下はその発表の記録だが、彼らの研究のスタートを示すもので興味深い(文献11)。

 「砂はマサチューセッツ州、マンチェスターに近いところにある、通称シンギングピーチ(歌う浜)から採取した。この浜の名を生んだ現象は、水打際から、大波がかぶる範囲の砂に限られている。それに隣接する場所は、まったく音を発しないか、音が出てもきわめて低い。音の出る砂は、表面近くの30-60セソチの深さまでで、それはおそらく、水分のせいだろう。音は圧力によって生じ、静かに砕けるような音とでもいうべきか、低い音で、金属音とか、バリバリというような音ではない。砂の上をふつうに歩くときに音を発し、強く踏めば大きた音になるし、手でかきまわせば手に振動を感じる。指をつっこんでも、また急にそれを引き抜いても音が出る。浜辺の上で材木を引きずって歩くと、もっと大きな音が出る」

 このあと、ハワイのカウアイ島にも音が出る砂があることを紹介し、またH・ミラーが指摘したシナイ半島のナクーや、アフガニスタンのレグ・ルワンの存在を知っていたことや、ネバダ州のチャーチル村の、砂丘でも同様の現象が観察されるが、その音は風で電信線が鳴る音に似ていることも書き添えている。そして、砂が音を発する原因について、いくつかの仮説を検討したが、自分としては平らな面をもつ粒子と、小さな孔がある粒子とが混合するためではないかと結んでいる。

 シャンプレーン湖の西岸(クリントン カントリーのプラッツバーグの南約7キロ)にあるシンギング・ビーチ(歌う浜)についても調べた(文献12)。

 「この浜は長さ約200メートルの弧を描き、南端は石灰岩の崖、北端はこれも石灰岩で、その北約30メートルのところには建設用石灰岩の採石場がある。われわれが訪ねたときには、砂がわずか水分を残していたので、やや弱い音だった。しかし手でこすると30メートル以上のところでも聞こえた。ここの砂は特別にこまかく、平均0.2ミリで、肉眼でも丸い粒子であることがわかった」

 この発表の後、1年間、アメリカ国内を方々へ旅行してこの現象を研究し、また莫大な文通により情報を集めた結果をまとめ、第2報を1884年のフィラデルフィア大会で発表した。その情報収集にはアメリカ人命救助隊長が協力し、全国の隊員に情報と砂のサンプルを集めさせたことが大きな力になった。その結果、アメリカの海岸には意外に多くのシンギング一ビーチが存在することが明らかになった。他方実験方法についてマンチェスターやロッカウエイで現地研究し、こう述べている。

 「約一リットルの砂を布袋に入れておき、内容物を二つに分けてから、互いにつよくぶつけたときに最大の音が出る。マンチェスターの浜辺でも、ロッカウェイの浜辺でも、その音を45-60メートルの距離ではっきり聞くことができた。聞こえる距離は、風の強さと方向により、また波の音により変化する。ロッカウェイでは、浜辺から離れた野外で、次のような慎重な実験を行なった。袋を打つときに出る音は227メートルの距離で聞くことができた。その音はブ、ブ…というので容易に識別できる。実験は四人でやり、二人がペァーになってそれぞれの一人が砂の袋を持った。さらに真暗闇の所で、袋を打つ動作が見えないようにしてやったが、まちがいなく聞こえた。浜辺での音の特性は明らかに、ミュージカルで、正しい音調を示し、音の高低は砂の質によってちがっていた。砂の中に両手をつっこんで、急激に両手を合わせると、大量の砂が振動し、図3-6@の音が出る。砂の表面を弱い力で打つと、非常に高い音が出て、図316Aのように一回ごとに異なる。両手にいっばいの砂を強く活発にこすり合わせると、だんだん高い音になり、両手の間の砂がこばれて少なくなるにつれ、高い音調になる。正確にそれぞれの音調を分離して聞くことはできないが、バイオリソの弦に沿って指をすべらせるときのような音になる(図3-6B)。


図3-6 Bolton  が聞いた楽譜の区別

 以上はマンチェスターで得た結果である。ロッカウェイでは少し異なった音調になった。低い音は出なかったが、砂をこする方法により、だいたい図316Cのような音が出た。以上の表現はバイオリンと比較してつくったものである」
 続けて砂の性質につき興味ある事実を指摘している。「砂が音を発する性質は消えやすい。ぬれたらだめになる。両手で長い間こすれば音が出なくなる。またガラスびんに少量の砂を入れて振れば砂を殺す(キル、kill、音を出なくする)ことができる。錫の箱は殺すのにもっと有効である。錫の箱に入れてかきまわすと特殊な音が出るが、箱に入れ20-25回ゆっくり上下させただけで完全に音が消えた。どういう条件で、またどれだけ長く音を出す性質を保てるかについては、いまのところ確言できないが、びんに入れて密閉するのがよいようだ。袋に入れておくと、2-3時間でだめになってしまう。以上のどれかの方法で音を出さなくなった砂(killed sand)を復活させる試みは、いままでのところ失敗している。ファラデーゲージで調べてみたところでは、静電気は関係ないらしい」


図3-7 ハワイのカウアイ島詳細図

死者の霊が泣く(カウアイ島) 

 ハワイ観光のポイントのひとつになっている「緑が美しい庭園の島」カウアイ島(別名ガーデン・アイランド)に、あまり人が訪れない魔の地区がある。ノヒリと呼ぶこの場所について、Ledouxはこう書いている(文献13)。

    ここは古い墓地で、風がたえずこの不毛の地をよぎって吹き、珊瑚の砂で埋まる。漁船はこの沖合を通過するときに避けて通るという。風向きによって、犬の吠えるような不思議な、いとも悲しげな泣き声が聞こえてくるからである。それは死人のさまよえる魂なのだという」

 これが砂のいたずらであることは、1854年、はじめてG・W・べーテスが書いた(文献15)。ソローやMillerの発見の4年前のことである。そして、ボルトン博土は1890年(文献16,17)にここを調査した。

 「ハワイ諸島、カウアイ島の西岸にあるマナ(Mana)地区に、高さ約30メートルで、1.6キロ以上にわたり、海に平行して走る砂丘がある。そこには海と風の力によって磨耗された貝殻と珊瑚片がその砂丘を覆っている。西は切り立った崖に遮られ、砂丘の基部は海に洗われている。東の端は砂丘で終わり、ここの形は他の大部分の場所よりも対称的で、切頭円錐を広げたようになっている。頂上と、海から約90メートル離れた陸側の斜面は、著しい音響特性を有し、犬が吠えるのに似た音を出す。この砂丘は高さ33メートルだが、ソノラス・サンドの斜面は、それが覆っている地面から18メートルだけである。その最も急な斜面は、31度のまったく均一な角度を保っていて、砂が乾燥しているときは著しく動きやすく、その平衡を乱せば波状をなして斜面を崩れ落ち、そのとき太い低音の大音響を発する。私の仲間はその音が小型電動鋸の音に似ているといった。砂を動かしてみると、手や足に振動を感じた。音の大きさは動かした砂の量に関係し、ある程度、温度にも関係した。砂が乾いているほど音が大きい。私が訪ねたときには深さ約10センチまで砂が乾いていた。午後4時30分には表面下7.6センチのところの温度が30.5度C、そのときの気温は日影で28度Cだった。大量の砂を崩れ落としたとき、その落ちる方向に直角にそよ風が吹いていたが、私はその音を32メートル離れた場所で聞くことができた。砂を左右の手の間で叩きつけるとホーホーというような音が聞こえた。しかしもっと大きな音を出すには、袋に入れ、それを二つソノラス・サンドに分けてから、激しくぶつけ合わせるとよい。この方法は、海岸の砂の発音性をテストする最上の方法だということを私は以前から発見していた。

 砂丘の頂上には風紋がついていて、しかも一般に、31度の勾配の場所よりも砂は粗目であったが、テストするとこれもまちがいなく音を発した。袋にとった砂は、そっとしておけば、その発音能力を維持した。青か紫色の花をつけたコロコロという名の蔓草がその砂丘に繁茂し、音の出る斜面を遮っていた。砂丘の基部で60メートルの長さのメーンスロープをみつけたが、そこはこの蔓草がなく、西方へ160歩の間は音を出した。さらにその先94歩は音が出なかった。ハワイの住民たちはこの場所をノヒリ(nohili)と呼び、この語には特別な意味はないが、砂によって起こる音を、静寂を破られたことに抗議する亡者の霊によるものだと考えている。

  とくに.往時には砂丘が一般の埋葬地として使用されていたので、白くなった骨や、よく保存された頭蓋骨があちこちに散乱している。このように音を出す砂は、カウアイ島コロアの東、4.8キロのハウラでも報告されている。私は訪問したかったが、そういう情報を聞いた。特別なコネがあって私はほとんど人々が訪ねない二ーハウ島へもいった。この島の西岸カルアカフアと呼ぶところに、高さ約30メートルの砂丘があり、この陸側にソノラス・サンドがあって、岸に沿って約180-240メートルのびている。高さ11メートルの斜面にある砂は、カウアイの砂と同じく動きやすくて、同じような角度を保ち、撹乱すれば音が出る。しかし音はやや低く、斜面の角度もやや緩い。この場所を島の住人たちは知っているが、いままでに書かれた記録はない」

ボルトン博士が訪ねたのは90年も前のことである。現状はどうなのだろうか。これについては、1966年に出版された地質学の本に記されている。「ハワイのブーミング・サソド(唸る砂)は、カウアイ島のマナの近く、海岸から約300メートルにある海岸砂丘にある。この砂丘は高さ30メートルで、大部分は植物に覆われている。部分的にアクチブな砂丘があり、31度の角度をなす砂の斜面は、植物のない海向きの砂丘面上に発達している。カウアイ砂丘は典型的な海岸砂丘であって、陸向風により浜辺から陸へ向かって吹き上げられた珊瑚質の砂から構成されている。他のブーミング・サンドが石英粒から構成されているのに対し、カウアイ砂丘は石灰質である点がユニークである」


 シナイ半島探検記

ボルトン博土の熱狂的な研究心は、ついに1889年、シナイ半島の鐘の山へ遠征隊を組織し、自ら踏査することを決意させた。博士の死の2-3年前のことである。博土は研究開始の当初から、鐘の山について関心をもち、くわしい情報を集めていたようである。そのことは1884年の発表ですでに次のように述べて(文献14)いることからもうかがわれる。

「ゼーツェソ、Gray、 Ehrenbergの諸氏についで、1830年にはWellstedtが、1855年にはWard,H.A教授が、また1868年にはPalmer,E.H教授が、それぞれシナイ半島を訪れているが、これらの人々の話をくわしく検討してみると、いずれもスエズ湾東岸のツール(Tor)北方地区にはちがいないが、3-4か所、それぞれちがった場所へ行ったようだ。海からの距離、砂丘の高さ、その特性の違いがあまりにも大きくて、ちがう場所としか思えない。念のためワード教授に手紙で聞いてみたが、彼はまちがいないといってきた(ジェベル.ナクーだの意)。しかし、傾斜面に沿って石英砂があり、非常に大きなソノラス・パワー(発音能力)をもっているという点では、諸氏の話は一致している。砂は、かきまわすと斜面にそって辷り、そのとき発生する音は、はじめはハミソグ(ブンブンいう音)、ついで唸りに変わり、次第にボリュームを増して、ついには遠雷の音に似てくる。パーマー教授は手で前方に遠かに砂を掃くようにして押すと、低い音を発するし、その際、手に特殊な振動を感ずるとつけ加えている。またすべての観察者は、砂が完全に乾燥していると述べている点でも一致しており、特にパーマー教授は、太陽で熱せられた砂のほうが、日影の砂よりも大きい音がすると述べている。

 シナイ半島探検の様子は、ニューヨーク科学アカデミーへ、現地から手紙で送られた。

 1889年4月10日付、ボルトンがエジプトのヵイロで書き、共同研究者ジュリー ンが科学アカデミーで、同年5月13日に朗読した。

 「私はたったいま、シナイ半島、四週間の砂漢の旅からカイロヘもどったところです。この旅は、ミュージカル・サンドに関する研究に.関連して、鐘の山を駱駝調査する特別な目的をもっております。鐘の山はスエズ湾に臨み、駱駝の旅で、ツール(図2-1参照)から四時間半のところにありました。鐘の山という名は、砂漢のアラビア遊牧民によってつけられたもので、高さ約400メートルの白い砂岩から成っています。その西側と北側にはいくつか褐色の砂の犬きな堆積があり、急な斜面をなしています。

 山の北西にあるこれらの斜面のうちのひとつは、風の力か人間の活動で砂を斜面に沿って辷りり落とすと、低周波数の振動を生ずる性質をもっています。この堆積を私は他のと区別して、ベル・スロープ(鐘の斜面)と呼びます。それは三角形をしていて、底辺は79メートル、頂上は1.5-2.4メートル、高さは120メートルあります。斜面の角度は均一で31度です。斜面は両側が砂岩の絶壁で仕切られており、底辺へ向かって開いています」

 長い間、夢に見てきた鐘の山を目のあたりに見る喜びに満ちあふれたこの手紙(文献19)は、しかし、地質学者らしく、冷静で正確なものであった。同じ科学アカデー(文献20)で帰国後、彼自身が報告しているが、内容はほぼ同じなので、以下、まとめて紹介する。

 「砂は黄色で非常に細かく、石英と石灰質砂岩から成り、急な斜面上では不思議な流動性を有し、糖蜜かピッチのように、撹乱すると流れ、できた凹みは上方から流れ落ちる砂で満たされるから、凹みは上のほうへと進む。強い風により、強制的に吹き上げられた砂が、安息角(砂が自然に堆積して仮りの安定を保っているが、攪乱すれば崩れる限界の角度)を超える量だけ蓄積すると、突然に崩れ落ちる。 この砂は、シンギング・ピーチ(鳴き砂浜)の砂のような鋭敏なソノラス(音響)特性はまったくもっていないので、手で砂をたたいたり、袋に入れてぶつけ合わせても大きな音は出ない。手や足を砂の中につっこむと、強い振動を感し、低い音が明らかに聞こえ、それはオルガソの最低音に似ている。音の大きさと連続性は、動かした砂の量に関係する。しかしその音を遠雷にたとえるのは誇大だと思う。砂の斜面を仕切っている岩壁は著しい反響(木霊)をかえし、音を拡大して長びかせる効果はたしかにもっているが、音響発生の本質ではない。誤って報告されているように、砂が落ちこむ穴などはない。鐘の山の頂上 ベル・スロープの上に聳え(そびえ)、精密なアネロイド高度計で測定したところ、291メートルあった。

 ベル・スロープ以外の砂には、ミュージカル・サウンド(楽音)はなく、顕微鏡で見るとシルト(粘土)が入っていた。スロープの砂の一部は砂岩の分解によって補給され、一部はもっと遠方の平地から供給され、強い風が砂を吹き上げている。

 同行したこの地方のアラビア遊牧民たちは、この山が発する音を、山の中心にある地下修道院のナゴス(鐘)、または木製のゴング(銅鑼)によるものだと信じており、その音は祈祷の時間にだけ聞こえるんだと主張した。数日間、この場所と現象を研究した結果、従来考えられていたように、この現象が生ずるのは、ここに限るわけではないと確信するに至ったので、私はスエズヘの帰路のキャラバンルートでみっけた砂の吹きだまりの急斜面を調べてみることにした。

 4月6日のことである。私は高さがたった14メートルの小さな砂丘上にある急斜面の砂の堆積を調べてみたところ、ついに第二のナゴス(鐘の山)を発見した。この新しいナゴスはワディウェルダソ(図2-1参照)にあり、正常のキャラバンルートから約5分間の道草をすればよく、スエズからは駱駝で一日半のところである。この小丘をアラビア遊牧民たちはラマダンと呼んでおり、0.4キロの長さの、低い小丘の東端にある。ワディには一つしか丘がないから、その位置は旅行者にはすぐわかる。この小丘は礫岩と砂岩と天然石膏からなり、斜面は北面で急勾配、南面は絶壁になっている。北風によって吹き寄せられた砂は、崖の上へ運ばれ、急勾配の面で31度と21度の二つの角度をなしている。こまかい砂の部分は、手をつっこんでみると、31度のところでは低い音を出すが、ベル・スロープのような大きな音はしなかった。 

 あるとき、私の友人と随行の連中は30メートルの距離で砂の音を聞いた。音の出る砂は低い崖の全体に.わたり457メートル間隔で存在し、東端の最大のところは46メートル幅、斜面に沿い18メートルであった。この斜面で砂を著しく撹乱したので、翌日は音が出なかった。なお夜はこの地方としては非常に寒く11.7度Cであった。この第二のナゴスの発見によって、私は、この現象が砂漠では必ずしも稀ではないという確信を得た。また、通訳のハンナ・アブサブと随行の遊牧民たちは、新しいナゴスの発見をたいへん驚き、ジェベル・ナゴス(鐘の山)のハート(中心)に隠された修道院に関する信仰は深刻なショックを受けた。なお、ここで、ナゴス(鐘)あるいは木の銅鑼(どら)は、シナイ山にあるセント・カテリナ修道院で毎日鳴らされていることを指摘しておくのは興味深いであろう」 以上、少々長くなったが、できるだけ忠実に原文を紹介した。そのなかにボルトン博士の情熱と喜びがこめられているからである。報告の最後に、こうつけ加えている。「私はアフガニスタンのレグ・ルワンにもゆきたいが、英国とロシアの国際関係が複雑なので、北アフガン訪問は中止せざるを得ない」

 いまも昔も、アフガンといい、シナイ半島といい、複雑なところだが、このあとに出てくる他の場所もまた、不思議と物騒な場所が多い。

Bagnoldの体験

『飛砂と砂丘の理論』(1941)(文献21)で知られるイギリスのBagnoldも白砂の歌に注目した人である。彼は自らの体験をこう記している。「砂漠の遠い所で、その静けさを破って聞こえる驚かすような大きい音を、土人の物語は幻想曲に編みあげた。ある時には旅人を、水がないための死に追いやるサイレンの歌となり、ときには砂で埋った地下の僧院から鳴りわたる鐘の音であり、またときには、ただ単に神霊の怒りであったりする。しかしカーソン(文献22)卿によって蒐集されたごとく、その伝説はほとんど驚くほどのものではない。私は南エジプトにおいて、最も近い居住地からそれを聞いた。二つの場合、いずれも突然、夜に起こった。震えるような低い音は非常に大きく、連れの者に、聞こえるかと叫ばざるを得なかったほどである。間もなく撹乱によって起こった他の音源がそれに加わったが、それはきわめて密接した調子だったので、ゆっくりした打っ音が明瞭に聞こえるほどだった。再び静けさがもどり、大地が震動をやめるまで、不思議なコーラスは5分間ほど継続した。ただその音は砂が高い砂丘や漂砂の辷り面を雪崩れのように辷り降りるとき、その下部から常にやってきた。その砂雪崩れは、丁度、砂嵐の間か、表面温度の変化が表面を不安定にした直後に自然に起こったものである。あるいはそれは人間の手や足が押す、といった人工的に起こることもあり得たであろう。自然の場合、その音は、底部に近い傾斜で砂雪崩れが阻止され、上のほうの砂がその中へ嵌りこみ始めたときにのみ起こったのである。その運動が、風漣のような外観を呈することは、ゆっくり起こった水の突進を思い出させた。その現象はきわめて稀れであり、また多分、その砂が特別な性質を有する特別な場所においてのみ起こる」

ロシアの歌い砂

 不思議な音を発する砂のことを、ロシア語ではズブチャシチィイ・ペソーク(音の出る砂)またはパユーシチィ・ペソーク(歌い砂)という。コリコフスキー技術研究所のウェ・ぺ・アラバージィは次のように紹介している(文献23)。

「ロシアではカザフ共和国のアクム・カルカン砂丘、ドニエプル川のヘルソンの近く、オカ川のツーラ(モスクワの南方にある中部ロシアの都会)、イズマイリスク地区の入江、バイカル湖のスヴヤータヤ岬、リジュスク浜および白海(ベーロエ.モーリェ)の岸に歌い砂がある

このような砂の上を歩行すると、雪のきしり、あるいは皮靴のきしりに似た音を発する。激しく歩けば高い音がする。また砂をひっかくと、軽やかな口笛のような音を出す。櫂(かい)で打てば氷が割れるときの轟くような音が出る。手か棒で砂の表層を表面に沿ってひっかくと、軽いきしり音を出し、運動に関与する砂の量が多くなると唸りを生ずる。もし砂を足か棒で押すか、あるいは何か物体で下に突けば、きしる代りに、低い弾けるようた音がし、それは乾いた澱粉の粉をこねるときの音に似ている。

 より多量の砂を撹乱するほど、大きい音が出る。音調はまったく同じ砂でも同一ではなく、刺激の条件によっても、また砂の性質によっても音色が変わる。人や動物が砂の表層を撹乱しなくても、風の作用によって堆積した砂が、ときどき崩壊して音を発することがある。遠くから聞くと、それは遠方で起こる山崩れの音に似ており、ときにはオーケストラが大きなドラムを無秩序に叩くときの、低くて鈍い響きに似ている。

 アクム.カルカン丘で、砂が最大音響を発するのは、地方時間で12-16時、気温24度Cのときである。日没に向かうにつれて低い音になり、多くの場合、砂丘の低い所から高い所へと次第に鳴りやんでゆく。

 雨の日やその直後、または冬期には音を発しない。湿った砂は、25-30センチの深さだけ表層が乾いた後に音を回復する。砂の表層を撹乱すると、深さ5センチまでの層で発音する。砂の試料を採取しても、輸送中に次第に発音特性を失うが、ある場合には、ごみや角ばった石英粒を除去することによって発音特性を回復することがある。砂丘の表面層から大量の砂を箱にとれば、約3時間、発音能力を保っていたが、細かめの砂は、きわめて小さい音しか発しなかった。

 砂は粗粒の石英砂からなり、特によく粒が揃っていて(0.5-0.1ミリ)、ごみや長石などの小さた破片は混ざっていたい。粒子の形状は、大部分が球状か卵形である。

 アクム・カルカン砂丘の頂上は最もよく音を出すが、この砂の表面を手でかきまわすと唸るような音を発する。音波の周波数解析結果によると、65ヘルツと125ヘルツにピークがある。また頂上を人が歩行するときの波形も観測したが、30-40メートルの距離で騒音計は72-82デシベルを示した。この数値は声高でない会話に相当し、遠くで聞く山崩れの音に似ており、ときには遠くを飛ぶプロペラ式飛行機の唸りの強さである。周波数の最大は64ヘルツであった。なお観測時の気温は30度C、砂の表面温度は45度Cに達していた。肌に感ずるほどの風はなく、砂丘の斜面に沿って頂上から40-50メートル降りると、砂の表面温度は63度Cであったが、砂は音を発しなかった。砂丘の頂上付近では空気の循環と太陽光線にたいする角度により、砂が斜面ほどには加熱されないためである。比較のため、オカ川のツーラ地区、ヴェロゴージュ村付近の砂を手でかきまわすときの音を調べた。音は口笛に似て、周波数のピークは100ヘルツにあった」

 

カザフ共和国・歌う山


図3-8 ソ連およびその周辺の鳴き砂存在地


図3-9 カザフ共和国の歌う山

 白砂の歌に魅せられた人々は、わが国にも何人かいた。その第一人者は新帯国太郎氏である。氏は満鉄に勤務され、専門は温泉学だったがミュージカル・サンドに興味をもち、各地を実地(文献24-26)調査するとともに、文献も調査された。わが国における、ミュージカル・サンド研究の草分けである。その後、東北大学の小貫義男先生(現在、仙台の長谷地質調査事務所)、気仙沼市鼎が丘高校(文献27)の渋谷修先生(現在、宮城県立第二女子高校)らによって受けつがれた。その後のわが国における研究については次章以降で述べることにする。

 ところで、新帯先生は、ソ連・カザフ共和国の歌う山が、1965年に天然記念物として指定された事実を紹介された(文献28)。これは、たまたま氏が知多半島ご出身であり、その地元紙『中部目本新聞』外電欄に「1965年4月初め、ソ連閣僚会議直属のタス通信が"歌う山。を永く保存するよう指定された」と報じたのに、新帯先生がコメソトを加えられたものであった。そのなかで、このような内陸性の歌う山は、日本の浜辺に発見されるミュージカル・サンドとは本質的にちがうのではなかろうかと次のように述べておられる。

 「鳴沙山、シナイ半島の鐘の山、カザフ共和国の歌う山などの音は、実は砂そのものの音ではなく、地形と気象とによる風の音であると推定せられる。すなわち、風の息、またはこれに起因する風下斜面部の空気層の渦巻の周速の、周期的変化のため、われわれの耳に及ぼす空気の運動量が変り、従って空気の圧力の周期的変化が、吾等の耳の内部の空気層中にも起こり、これが吾等に音の感覚を生ぜしめるものである」。

 「内陸性の歌う山の原因は風の息」とする新帯先生の説は、その後わが国では多くの人々に先入観を与え、現在にも尾を引いている。だがこの推定は誤っていた。情報不足だったのである。前述したように、ボルトン博士はシナイ半島の鐘の山を調査し、発する音こそ違うが、浜砂と同じ原因であることを究明していた。その文献が新帯先生のところに入っていなかった。ソ連の文献を調べてみると、前記アクム・カルカソ砂丘こそ、天然記念物に指定された歌う山であることが確認できる。アクム・カルカン砂丘についてはさらにくわしい報告(文献29)がある。


図8-10 アクムカルカンの歌う山(等高線は25メートル間隔)



図3-11 アクム・カルカンの歌う山の頂上風景、左の端にイリ川が見える

 「イリ川の川床から北に半キロのところに、アクム・カルカン(コサック語で「白い砂丘」の意)と呼ぶ巨大な砂丘がある。この砂丘は、北西から南東へ3キロのびており、最大幅は基部で1キロの二つの大きな砂丘から成り、南の砂丘は高さ150メートル、北の砂丘は高さ約100メートルである(図3-10)。砂丘の斜面にはまったく植物がなく、砂丘の基部および西側のゆるやかな斜面にだけ、小さなサクサウル(中央アジア砂漠の無葉樹)の叢が砂を固めている。これら二つの砂丘は、『歌う』というめずらしい特性をもっている。砂丘の斜面に沿って砂が崩れ落ちて辷るときに、大きな音を発する。その音はプロペラ式飛行機の轟きに似ている。この音は一定の音調を保ちながら、大きくなったり小さくなったりする。生ずる音の高さは、低いオクターブのグランドピアノに比することができる。季節により、また夜と昼では発する音の高さが違う。イリ川の川下から南西の微風が吹いてくると歌いはじめるが、この鈍い響きは、川を航行する船の騒音に似て、約10キロの距離からも聞こえる。

 風のない静かな日や、雨天および雨の直後、および冬季には砂丘は沈黙している。晴天の日は、斜面に沿って砂を動かせば砂が歌う。なるべく大量の砂を崩落させたほうが、より大きい音を発する。民話や伝説では、種々の宗教的迷信に関係づけられ、砂丘の下に英雄や悪霊、魔法の都市が埋っているために歌うのだとされている。砂丘は狭い谷間にあるが、この地方は強い風が吹き、秒速5メートル以上の風速が支配的である。図3-10に風の方向頻度を示してあるが、優勢な風は北東と南西方向で、谷に直角方向である。山の影響で風速が落ち、これが砂を集積しやすい条件にする。乾いた天侯のときは優勢た方向の強い風と交替して、川下から微風が吹く。このとき砂が斜面に沿って崩落し『砂の歌』の原因となる」


パイカル湖畔のメロディ

 ゆたかなるザパイカルの

    はてしなき野山を

       やつれし旅人が

           あてもなくさまよう---ロシア民謡

 このシベリアのバイカル湖に、不思議な伝説があるという。20数年も前の毎日新聞外電欄に出た記事だが(昭和31年8月23日、東京発行)、それによると、「シベリヤのバイカル湖に、真夏にからんで不思議な伝説がある。湖畔を通っていると、不意にフルートの音に似た物悲しいメロディーが、あるいは高く、あるいは低く、どこからともなく聞えてくる。それもよく晴れた日に限り、雨や曇った日ではないというのである。ついこの間もソ連の考古学調査隊の一行がこれを聞いたが、それは歌う砂の仕業であるということが判明した(自然によって同じ大きさに精選された無数の非常に小粒の砂が一つ一つ帯電し、これが湖の風に吹きあげられる結果歌うのである)ソヴェトニュース」

 この文の末尾()内は、おそらく新聞杜でつけ加えた駄足であろう。最近の旅行案内『朝日・旅の百科-海外編、ソ連2』(朝日新聞杜、1981)にはこう書かれている。「いずれにしろ、バィカル湖はシベリァのシンボルだ。事実、この湖には神秘的な現象がしばしば起きる。太陽がさんさんと輝いているのに湖面に靄(もや)がたちこめたりする。時には湖岸の砂がヒューヒュー妙な音をたてたりする」。いまどきこんな記事を書くのは不勉強な記者であろう。

 いずれにしても1980年代になってもなおミュージカルサンドは健在だろうか。

アフリカの吠える砂


図3-12 サハラ沙漠(リビア)のブーミングサンド

 

図3-13 Humphriesが描いた唸る砂が辷っている状況のスケッチ(幅約20フイートの様子)

 手前は砂が流動状態にあり、比較的撹乱されていない砂、すなわち大きなマスの破片がその上に浮いた状態となっている。斜面の上方では撹乱されていない大きなマスが斜面を辷り落ちている。撹乱されていない砂の上端では「、小さな辷り面が生じ(2-5センチ厚み)、そこから砂が連続的に流れ出している。

 19世紀末、ボルトン博士(文献30)はリベリヤの西岸、ケープ・レドに歌う砂があると報告しているが、同じ頃、南アフリカのカラハリ砂漢で吠える砂丘が発見され(文献32)、1938年になって、ルイスは、カラハリ沙漠の南東隅、ランゲバーグ山脈の近くで再発見した。非常にくわしい報告書であるが、その要旨は次の通りである。「その付近のカラハリ沙漠は赤茶けた細かい砂なのに、ここだけに真っ白いほぼ100%の石英砂が堆積しているが、その理由は研究を要する問題である。粒子は透明でよく円磨され、表面は光沢をもっている。年間降雨量は380ミリ程度で、雨後、よく乾燥すると発音特性を示す。発音は砂の動かし方により、吠えるときと、ブンブンいうときとがあり、吠えたあとはブンブンが続く。砂の斜面に沿って砂を押し上げるときには吠え、ゆっくり砂を崩落させるときにはブンブンいう。撹乱する砂の量が多いほどより大きい音が出る。夕方や早朝に、土人たちは斜面をすべって音をたてるが、その音は500メートル離れていても聞こえ、遠くで雷が鳴るのに似ている。サハラ砂漢でも発見されている。イギリスのシェフィールド大学地質学科のハムフリーは次のように報告(文献33)している。    

 「1961年のケンブリッジ・シエフィールド大学探検隊により、偶然、コリゾ一の唸る砂が発見された。その位置は北緯22度30分、東経15度25分で、リピアとチャドの未確定国境付近であり、どちらの国に属するかは現在のところ明らかでない。砂の上を歩いても音はしないが、砂を叩くか辷らせると、水のように流動しはじめる。そしてただちに唸りが生じ、非常に.大きなボリウムの音を発する。私の仲間のアケスター君とアルテイ君は最初、音源を確かめるために空を見上げ、飛行機が低空で飛んでくるのではないかとあたりを見まわしたものである。この音は砂の動きが止まるまでの間数分間続く」

オーストラリア


図3-14 オーストラリアのスキーキービーチ

 住宅用窓ガラスやガラスびん、レンズなどの工業原料用珪砂として、わが国はオーストラリアの浜砂を、大量に輸入している。現代生活はオーストラリアの白砂を食いつくしているわけだ。これらのなかにはミュージカル・サンドも含まれているが、採掘にあたって著しい撹乱をうけ、汚れているため、少々洗ったぐらいではミユージカルにならない。

 ブラウソの報告(文献34)によると、「メルボルンの南方に三か所あり、そのひとつはその名もスキーキー湾(軋る湾)と称し、砂粒はよく円磨されていて、浜辺でも発音するし、ポリエチレン袋に入れて実験室へもち帰っても発音特性を失わない。袋に入れたままのほうが、空気に曝しておいたのよりもよく音を発し、1オクターブ高い。これは水分を1.7%ほど含んでいるためであろうか。理由はよく説明できない。オッシログラフによる波形記録もスムーズである。
 スカレリス入江の砂も、やや細かいが発音する。ノルマン湾は、浜でも実験室へもち帰っても発音しないが、これは貝殻をたくさん含んでいるためである。塩酸で貝殻を溶解除去すれば発音する。ここの砂は丸みが少なく、角っぽい」

 彼らのデータによると周波数は2000ヘルツであるから、これはミュージカルではなく、スキーキング・サソドである。メルボルンからシドニーの間にもいくつかあると、Lindsayが報告している(文献35)。


図3-15 唸る砂へショベルを打ち込んだときの音波波形

 「一般に波がかかる浜辺で日中の熱い乾いた砂がスキーキー音を発する。スキーキー.ビーチの砂は、波が引いたあと、水で完全に飽和されていても、音の大きさは低いが、とにかく音が出る。音を出す能力は理想的条件でも浜辺により異なっている。音の大きさは粒度には無関係である事実は注目に値する。たとえばスキーキー.ビーチはすばぬけて高い音を出すが、粒度は他の砂に比べ中位である」

月面科学の仮説

 月には微振動や脈動を引き起こす原因がほとんどないので、月の地震すなわち月震(ムーンクェィク)は、地球の地震(アースクェィク)に比べてきわめて小さい。そのため月面には地球上に比べて13桁精度の高い地震計が設置されている。
 ところで、ムーンクェイクの原因は、地球とは著しくちがう。テキサス州ヒューストンにある「月の科学研究所」のCriswel1,D.R(文献37)によると、「アポロ15号で検出された数千件の短い月震は、振動数が2-20ヘルツ(毎秒の振動数)であって、それを254種の型に分類できる。それぞれの型は、月の一日の間の1-2時間内に同時に起こるので、その震源は熱により引き起こされる地辻りではなかろうかと考えられた。ところがふしぎなことに、それぞれの振動の波形は毎日くりかえされているので、それぞれ同じ地点で地辷りした土が、月の夜の間に辷る前の条件にもどると考えねばならたいことになる」
 月の沙漠ではいったい何が起こっているのであろうか。「そうだ、もしかすると、月の砂漢にも歌う山があるのかも知れない。そして火星にも」と、月面科学者たちは考えた。月には大気がないから、もちろん音は出ないが、振動が記録される。白砂があるとは限らないが、月の表面を覆っている土は、振動が発生し、振動をよく伝える性質をもっていることも明らかになった(地震学でいう Q値が大きい)。そこで地球上にある(文献37139)丘(booming dune)の研究がはじまった。

Criswel1ら(文献37ー39)は、ネバダ州にあるbooming duneを調べた。Rinoの東、約100キロにある唸る砂丘は、80デシベル以上の大きい音を発し、振動は低周波で100ヘルツ以下、双発プロペラ飛行機の音に似ている。音の持続時間が30秒を超えることもあるという。また「唸る砂丘の音響と地震発生」と題しこう述べている。「めずらしい砂丘がある。それはきわめて特殊な性質をもっており、強制的に、あるいは自然にその砂が崩壊すると、非常に低い周波数の可聴音を発する。それにともなう音響と地震の記録を、ネバダ州、ファロンの東、約24キロにある唸る砂丘で行なった。強制的に崩落させると、最大振幅のときの周波数は66ヘルツで、帯域が狭く、地震と音波の波形によく似ている。砂丘は高さ120メートル、幅1.6キロ、長さ7.2キロで、砂は勾配32度の山をなしている。卓越風は北東方向であるが砂丘の位置は過去10年間、ほとんど変化していない。この砂の表層10-15センチを動かせば音が出る。図3-15は、シヨベルを砂の中へ突っ込んだときの音を、3メートル離れた位置で地中に埋めたマイクロホンと、ショベルのすぐ上30-50センチの空気中でのマイクロホンで測った波形であり、振動は低周波数で60-70ヘルツであった」という。

 鳴き砂を訪ねて、世界旅行してみたい。月や火星へも……。だが世界旅行をしなくても、、ミュージカル・サンドは日本にもたくさんある。そのことを、次章以下では紹介しようと思う。しかも、そのいくっかは世界に誇るすばらしいものだ。だがなぜか、その事実を知る人は少ない。
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