目次:粉の文化史 (目次) | 茶臼の話
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上は明治9年刊の『教草』にある茶道具一式の絵ですが、今の絵(左)にないもの、
それが茶臼です。それでは、なぜ茶臼が消えたのでしょうか?
実は、次の江戸後期の書『茗話』という古書にすでに始まった世の中の変化のようです。
「大阪にて2、30年以前より茶の挽きたるを売りたり。
茶事は主人みずから事をとるを礼とす。茶もみずから挽きて用ゆるこそよけれ。
価だに出せば何時も挽茶あるは大いに意を失えり。」「是みな世のいとなみのくるしく成行なり。種々のことに心を用いて、
人のせぬ商ひをして利を得んとするや」
と、これはなかなか手厳しい!お茶屋さんの謀略だという人もいますが、 もし茶臼の消滅がなかったら、現代の茶道の隆盛はなかったに違いありません。
なぜなら茶臼は非常に高価なもので、まずしい一般町人が手を出せる代物ではなかった
からです。
しかし最近になって再び茶臼の復活を願う人々も現われるようになったのは、
ようやくわが国も豊かになった証拠かもしれません。
左の写真はもっとも標準的な宇治茶臼です。石は輝緑岩。この石は現在では入手不能であるから、
骨董屋でも傷物でなければ何十万円の値段がついているのが普通だそうです。 ただしピンからキリまであり、よく研究して買うべきでしょう。
これはどこかで見た覚えがある方もいらっしゃるでしょう? テレビでなんども出たし、京都駅前の地下街ポルタで一年間お茶屋で奉仕していた長女の チャー子、今は出戻りです。妹のマー子は別のお茶屋さんへお嫁に行きました。
3女は名前を忘れましたが、各種の展示会にチョクチョク今も出ているとか?