リンク:粉体工学 :粉の文化史 (目次)
| 茶臼の話 | 歴史年表 | 祇陀院
| 一休骸骨 | 戦国武将と茶磨 | 茶磨秘伝書
| 松尾芭蕉 | 茶臼山
| 茶磨の消滅 | 火打ち |
中国 北宋の時代 1079年 黄山谷
この漢詩が茶磨について記述された最古のものとされています。
磑とは茶磨、粉が石の間から出る様はまさに雪が降るようだ、と黄山谷は形容しています。
また同じ頃、黄山谷の叔父、王夷仲(政府専売の茶を監督する役人だった)の詩に 次韻して、北宋後期の詩人蘇 東坡の詩もあり、ともに茶磨を賞賛しています。
この詩は杵臼から碾(薬研やげん)へ、そして茶磨への進歩を賛えた詩です。
詩の訳 :
前人が初めて茶を飲んだときは葉も骨(茎)も区別せずに一緒に 煮た。ようやくその味を窮めて、臼を初め用い、次には碾を使った。計を尽くし、研究に 研究を重ねて、ついに茶磨にたどりついた。知者は物を創りだすというが、まさにその 通りだ。碾や杵臼は垣根のそばに捨てた。しかしそこまで来るにはいろいろな曲折が あった。長い年月にわたる研究の結果、どこの石が最適なのかも分かった。 良い石は衡山窟にあった。石工は苦労して石を取るが、目が通っていて、性質は 軟らかで、まことによいという。
http://www.wwwart.com.tw/tea/tea_99_01d.asp?titleid=766 中国茶事新聞)
(伝秀吉の茶磨)
蘇 東坡が感心した茶磨は多分、このようにすばらしい作品だったことでしょう。 この茶磨は唐磨と呼ばれる中国伝来の茶磨とかんがえられています。『幻の茶磨』とも
『松風の茶磨』ともいわれています。上の漢詩が つくられたころの中国の高貴な方からの贈り物と思われます。伝秀吉の茶磨とされ、 現在実在する茶磨の中でも逸品中の逸品です。所有者(極秘)の許可を得て私が写真撮影
しました。
なお、この手の茶磨は京都の古物商の間で3つあったという風問も聞いていますが、 現在は行方不明です。ご存じの方がありましたら是非教えて下さい。 ちなみに京都新聞(昭和46年3月6日夕刊には京都市東洞院四条上ル西村良足氏所蔵
とあるがその場所にはない。
民間伝承を集大成した『御伽草子(おとぎぞうし)』にある物語「かくれ里」の一節。
文庫本もあり、絵本もあって本屋さんで立ち読みできる程度のものです。 読み出したらとまらないおもしろさ!
秋の黄昏時は空ならでも心細からぬかは。風ものすごく…松風という茶臼あり。 河しまという挽き木あり。これ一具の宝物なり…
話の筋は、比叡山にいた大黒さまの手下であった鼠が、恵比須さまの宝物だった茶磨に
小便をしかけ、挽き木を折ってしまった!西の宮にいた恵比須さまは、一戦の内に雌雄を
決すべしとて軍勢十万八千余騎を四条室町に集結させた。
一方、大国さまは隠れ里に使いを出し、鼠の大軍一万余騎を集めて二条河原町大黒町に
陣をとる。あわや京都が先頭の修羅場と化す寸前、もろこしの布袋和尚が、とるものも
とりあえず駆けつけて仲裁に入るという話。
京都の現在の地名が出てくるので、京都観光のつれづれに訪ねて、京都の危機を想う
のも一興では?
ところでなぜ松風なのか? これは上等の茶磨を挽いてみると、なるほどと分かる
でしょう。それは松風に似た爽やかな音が出るのです。普通の石臼はゴロゴロと
無粋な音なのですが、さすがに茶磨は貴人の宝物にこそふさわしい持物なのだと感心します
。しかし、石臼の音も実は無粋な音ではないのです。全く無粋なのは現代の機械による
粉砕音…。