粉体工学 :
粉の文化史 (目次) | 茶臼の話 | 歴史年表 | 茶磨の発明 | 祇陀院 | 一休骸骨 | 戦国武将と茶磨 | 茶磨秘伝書 | 松尾芭蕉 | 茶臼山 | 茶磨の消滅 | 火打ち |

一休さんとの出会い


一休骸骨

 夢窓国師から約100年を経たころには、茶磨の国産化が進んで権力のあるひとたちは 金にまかせて茶磨を作らせるようになっていました。トンチの一休さんで親しまれている 一休 宗純の有名な著作『骸骨』にイラスト入の奇妙な文があります。 この古文書との私の出会いは少々不気味でした…。

 岡山県美作町の石造美術研究家、土井 辰巳さんの案内で同町に五輪塔の台 になっている古い茶臼を見学しました。夏草が生い茂る山あいに、小さなお堂が建ち、 木彫の仏像が安置され、その前に二つ三つの五輪塔が草に埋れていました。 そこは、戦いに敗れた武士が自刃して果てた…という薄気味悪い所でした。 その苔むした五輪塔の地を表わす石に、茶磨の下ウスが使われていました。この墓の主が 今では誰か知る由もないのですが、愛用の茶磨だったのでしょう。私は名も知らぬ武人に 合掌してその場を去りました。墓を動かしたのは後味が悪いことだったので、ずっと気に なっていました。  その翌日のこと。古書店でなにげなく開いた『骸骨』に、ふと次の一節が目に止まりました。

なきあとの / かたみに石が / なるならば
 五りんのだいに / ちゃうずきれかし
ちゃうず?その本には手洗鉢のことと注釈がありました。活字印刷本だったので、 もしかして「ず」が「す」のミスプリントだったとしたら…と、ずいぶん勝手な推測を して見たのですが、それでは気が済まなかったので、さっそく竜谷大学へ出かけて 『骸骨』の原本を調べてみました。
 それはなんと私の予想通りでした。しかも一休さん独得のゆかいなイラスト入りだった のです。そしてそのイラストが、つい先日に美作で見た光景そっくりなのには 思わずギョッとしました。(『骸骨』には別本があって、絵も文も違うのがある。)
一休 宗純は反骨の人だったので、"ちゃうす" を権威の象徴と見て、それに 「いずれの人か骸骨にあらざるべき」という一休の無常観をダブらせて、 権力に追随し、茶磨を切らせることができるような身分に安住して修業を怠って いる高僧たちに対する鋭い批判だったのです。真実の禅を悟ることなしに禅を売物にし、 名利にしがみついている者への痛烈な風刺がこめられ、 これが『狂雲集』の思想へとつながっていることが、私なりにわかったような気がしました。
 なお、不思議な縁で現在の同志社は田辺町に移転し、一休寺が山の向こうにあります。
戻る