夢窓国師から約100年を経たころには、茶磨の国産化が進んで権力のあるひとたちは 金にまかせて茶磨を作らせるようになっていました。トンチの一休さんで親しまれている 一休 宗純の有名な著作『骸骨』にイラスト入の奇妙な文があります。 この古文書との私の出会いは少々不気味でした…。
岡山県美作町の石造美術研究家、土井 辰巳さんの案内で同町に五輪塔の台 になっている古い茶臼を見学しました。夏草が生い茂る山あいに、小さなお堂が建ち、 木彫の仏像が安置され、その前に二つ三つの五輪塔が草に埋れていました。 そこは、戦いに敗れた武士が自刃して果てた…という薄気味悪い所でした。 その苔むした五輪塔の地を表わす石に、茶磨の下ウスが使われていました。この墓の主が 今では誰か知る由もないのですが、愛用の茶磨だったのでしょう。私は名も知らぬ武人に 合掌してその場を去りました。墓を動かしたのは後味が悪いことだったので、ずっと気に なっていました。 その翌日のこと。古書店でなにげなく開いた『骸骨』に、ふと次の一節が目に止まりました。
なきあとの / かたみに石が / なるならばちゃうず?その本には手洗鉢のことと注釈がありました。活字印刷本だったので、 もしかして「ず」が「す」のミスプリントだったとしたら…と、ずいぶん勝手な推測を して見たのですが、それでは気が済まなかったので、さっそく竜谷大学へ出かけて 『骸骨』の原本を調べてみました。
五りんのだいに / ちゃうずきれかし