茶磨(茶臼)の日本史
京都駅地下街ポルタ開業のころ
私はお茶屋さんの店先で
セッセと茶挽き奉公していました
正月過ぎても同じ着物だったから、 「まあ、この子着たきりだわ」とお客さんの声。 アワテテ着替えをつくってもらって、奉公一年。 いまは臼類資料室へ出戻りです。 昔、遊廓で売れない子はお茶を挽かされました。 現代では窓際族のことをチャヒキというとか。
正月過ぎても同じ着物だったから、 「まあ、この子着たきりだわ」とお客さんの声。 アワテテ着替えをつくってもらって、奉公一年。
いまは臼類資料室へ出戻りです。 昔、遊廓で売れない子はお茶を挽かされました。 現代では窓際族のことをチャヒキというとか。