リンク:火口、燧石|火打ちは火薬への道|旧満州捕虜収容所での火打ち体験記|火打ちの技発見|
火の発見が文明へのスタートとは通説だが、その内容をもう少し詳細に考えると粉と人類との出会いの物語が明らかになる。木と木をこすり合わせて火を起こすのと、火打石で火を起こすのとでは技術の発展性に大きな違いがある。木と木の摩擦による発火は自然の模倣であるが、その過程で生成する乾いた木の粉に注目したところに偉大な進歩への糸口があった。その乾粉に火打ちの火を落とせば炎に転化できる発見である。百万年を越える石器づくりの蓄積のなかで育った高度の技術だった。この乾粉は火打石での発火助材である火口そのものである。乾粉の素材を変化させたり、火打石を選んだりして、火打の技術は発展していった。
しかし火打ち発火は特別な材料が必要だった。鉄器時代なら鋼、鉄がない時代は黄鉄鉱、それに火口の製法である。火打が高度な持ち物だった証拠に古墳から大陸起源の形態の整った鋼鉄の火打金が沢山出土している。大陸での形態を残す見事な道具である。古代から貧乏人の手もみ火きり臼に対し、火打金による火打の技はその材料を手にいれることができる限られた階級の独占だった。5000年前の石器時代の人体がアルプスの氷に凍結保存されて発見されたアイスマンが話題になった(タイム誌1992年10月26日号)(コンラート・シュピンドラー著 畔上司訳『5000年前の男』(文芸春秋社刊、1994)
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文芸春秋社刊(1994)
彼は青銅ではなく銅製のナイフを持ち、その持ち物には火打石はなかったが使用によって粉末になった黄鉄鉱とともに火口があった。起こした火をオキの状態で長持ちさせる袋も持参していた。さらに興味深いことに火口はカリウムリッチの特殊なキノコであったという(東京・杉並区在住の火打研究者、横山幸雄氏情報)。まだ粉ではないがカリウムはまさに火薬への道であった。花火の発見そして最後に火薬の発明へと複雑な技術の発展を生む技術の積み重ねである。
粉から火薬を連想するのはもっともである。