リンク:高杉晋作が山口県大島の民家の縁の下を掘った話 :化学の教科書にない秘密
なぜ縁の下に煙硝が?
古い民家の縁の下には上から水の補給がなく、一方的に蒸発だけが行われていた。土が水をひっぱる作用(毛管現象)を持っているので、縁の下の周囲から水を集めて蒸発し、水に溶解している物質がここで蒸発、濃縮される。一方せせなぎ(下水溝)や肥溜で硝化菌が活躍し、その分解生成物の硝酸アンモニウムは土に浸透し、何十年の間には、縁の下で濃縮、結晶化する。屋内の焚火の灰から来る炭酸カリウムと反応して、部分的に硝酸カリウム(硝石)も生成するので、子供の遊びに役立った。自然本来の機能が生きていたころ、土の毛管現象が造り出した自然の化学物質の傑作であった。ただしこれは日本の風土気候条件特有の現象であった。だから西洋から鉄砲が伝来して20年くらいで世界一の鉄砲保有国になり,火薬も大量生産できたのは,昔から知っていたことの延長線上にあったからである。
煙硝製造法の古文書『陽精顕秘訣』文化八年(1811))に曰く。「古き山家の縁の下には、必ず煙硝あり」と。鉄砲伝来からまもなく、火薬製造の技術が伝えられた越中・五箇山や岐阜県の白川郷の硝石製造場跡もこれであるが、明治以前には全国各地にあった。藩毎にあったはずであるが,記録はすくない。簡単に危険物が造れるので、昔は秘密にする必要があった。だから縁の下の土を掘った話があっても、なぜか知らされていなかった。(過激派がハラハラ時計という秘密文書を英文で流したことがあった。最近ではインターネットのホームページで堂々と公開されている時代だ。私のそのコピーを入手している)。縁の下の土を掘って、草木灰をまぜて、水を加え、濾液を煮詰めると、硝石が結晶になって析出する。食塩も一緒に析出しそうだが、塩化ナトリウムと硝石(硝酸カリウム)の溶解度の温度変化が違うため、硝石だけが析出する。この溶解度曲線は初等化学の教科書には必ずのっていたが、なぜかそれが火薬製造法の話しだとは現在でも教えられていない。 こんな場所で、硝石が生成する理由がわかったのは、下水浄化技術からであった。十九世紀も末、ルイ・パスツールが、微生物の研究に打ち込んでいたころのことであった。一八七七年、パリの下水浄化研究をしていた科学者達が、下水の浄化にともなって硝石が生成することを見出し微生物による硝化作用であることが次第にわかってきた。この微生物が、土の中に棲む硝化菌であることを明確に証明して見せたのは、1890年、ウイノグラドスキー(ソビエトの土壌生物学者)であった。この証明は、学術的に非常に難しい問題であったので、彼の天才的業績は世界的な注目を集めた。硝化菌は三種類のバクテリアが共存共栄して活動する、無機栄養菌であり、大地はまさに無機化学工場だったのである。ちなみにチリ硝石(天然硝石)も、大昔の動物の糞から、前記の硝化菌が造ったものにほかならない。 セセナギの文字は現代のの国語辞典からは消えている。特別大きい『大辞典』(平凡社)によれば「せせなぎ」とよび、「溝」「どぶ」とある。下水溝のことである。諺に「水三尺流れれば清し」という。その場所に住むのが硝化菌である。現代は水道システムになって「せせなぎ」が都市の生活の場からは消滅した。 「粉」なる大地は豊かな大地を創造して、その上に農耕文明を成立させ、華やかな文化の華を咲かせた。やがて、土から火薬を造ることを発明した人類は、お祭の花火や爆竹などに利用して楽しんだ。西洋人は家畜の糞から効率的に火薬を製造し、大砲による世界征服に成功した。日本でも、火薬の力を借りて信長の統一事業が完成し、富が蓄積され、近世文化が花咲いた。近代科学もまた、火薬に刺激された弾道の研究からガリレオの力学が生まれ、また、ラボアジェは、火薬の研究から化学の基礎を築いた。現代も未来も土から生まれ土にかえる。地球上の人間も土から生まれ土にかえる存在であることから脱することはありうるだろうか。