リンク:岸和田の西念陶器研究所で見られる
高杉晋作が民家の縁の下を掘って大砲を撃った話
1977年頃のこと。NHK大河ドラ「花神」が大島を映し出した。 高杉晋作の奇襲、大砲が火を吹いた。おもわず私は「やった、縁の下の土だ」とわけがわからぬことを叫んで、周囲の人たちを驚かせた。その3日前に私は山口県大島郡久賀町歴史民俗資料館の松田国雄氏を訪問していた。松田さんと中世の火薬製造の話題におよび、「いかがでしょう、もしかして昔、縁の下の土を掘ったというような話はありませんか」と聞いてみた。すると「あそれなら、高杉晋作の奇兵隊が来て島内の古い家の縁の下を掘っていったというわけのわからん話をする老人がいましたよ」とのこと「まさか」、私は耳を疑ったが、「そのその土をどこへもっていったかはわかっていませんが、そういえば焔硝を作ろうとしたのでしょうね」と松田さん。「聞いてみてよかった。こんな話が出ようとは期待していませんでしたよ」と二人で大笑いした。縁の下の土を煮つめてから、木灰を加えて硝石をつくることが、明治維新の頃も実際にも行なわれていた史実が伝わっているのだ。とすると、高杉習作の砲撃は、縁の下の土だったのだ。「縁の下の力もちとはこのことですかねえ」と、もう一度笑ったものである。こんな話がまだどこかで残っているのかも知れない。機密事項であったために、文書には出ない歴史となっているのである。古い民家があったら縁の下にもぐって調ぺなくちゃならぬ。
記録によると各藩に煙硝倉(火薬倉)があった。それを平和利用したのが、花火である。花火で技術の温存を計ったともいえる。
2004年になって1月23日に今でもこの現象が見られる秘密の場所があるようだ。見たい見たい・・・・