リンク:縁の下に火薬があった時代|高杉晋作が縁の下の土を掘って行った話|擂鉢(すりばち)|おせっかいの語源|
これはなんだ?
今陶芸の窯になっているこの地は昔馬小屋だったから、それが析出した。「そうだこれは小便塩ではなく、火薬だ。」そんな情報が西念秋夫さん(西念陶器研究所所長:擂鉢の資料室を持っている)から寄せられた。
2003年12月23日に擂鉢の勉強会があった。私はここで臼のお話をしたが、この火薬の話はその後日談であった。当日集まった人々は下記だった。次回はこの火薬の有孔利用が話題になるかも知れないし、もし高杉晋作が聞いたら早馬できっと駆けつけるに違いない。
まさか!!
江口 滉 陶芸作家・元京都市立銅駝美術工芸高校校長
小橋 君子 史料室のボランティアの方
北口 稚佳子 史料室のボランティアの方
高間 善崇 趣味で陶芸をされている方
石埼 洋志治 史料室のボランティアの方
尾関 知代子 奈良・慈光院、茶道・石州流の家元
高橋 英夫 石州流のお弟子さん
松村 千佐子 石州流のお弟子さん
斧 正二 陶春クラブ(西念陶器研究所の自主運営クラブ)
井浦 勇 陶春クラブ(西念陶器研究所の自主運営クラブ)
生長 保義 陶春クラブ(西念陶器研究所の自主運営クラブ)
曽和 真司 陶春クラブ(西念陶器研究所の自主運営クラブ)
岩崎 隆 研修生(西念陶器研究所の陶芸教室)
西念 秋夫 西念陶器研究所の所長
丸山 順子 轟陶磁史料室