終戦時の捕虜収容所での火打ち体験
1989年にいただいた便りより
終戦時の捕虜収容所での火打ち体験を読者から知らせていただいた。(下関市在住 末宗武氏)
「終戦時の昭和21年夏、北朝鮮の部隊にいて終戦と同時に捕虜収容所に入れられ翌年4月に旧満州延吉収容所に移されました。私どもが収容所に入ってから1週間位でソ連軍が撤退し、その後に有名な八路軍の朝鮮人部隊が管理することになりました。なかなか日本に帰れる状況でなく、八路軍もこれから農作業が始まる故、元気な兵士は使役に行かされるとのことで、私も近郊の朝鮮人農家に連れて行かれて農作業をしたものです。
農家では三度の食事は勿論ですが、煙草もくれました。たばこといっても葉煙草で、それを巻く紙をくれました。そしてマッチのかわりに火打ち石、火打ち金、モグサをくれたのです。なぜ火打ち石などくれるのか申しますと、マッチは貴重品も貴重品で、全くの貴重品でした。日三度の食事の支度にだけ1本ずつ使うような有り様でした。それというのも終戦と同時に全満州の生産がとまり、マッチはもちろん、石鹸そのたもろもろの商品を作る工場生産が完全にストップ。各戸に電線は来ていても電球がなく石油ランプで明かりをとる具合でした。
私当時30才、昔は火打石があったことは知っていましたが、自分で使うとは思っても見なかったものでした。ほんとうに驚きました。火打ち石で火をつけることはなかなか難しいものですね。必要に迫られ何回も何回も練習しているうちにようやく火がつくようになり、文字通り一服となるわけでした。よくぞ帰れたものですが、火打ちも私にとって忘れ得ぬ思い出のひとつでした。そんなことがあったので、先生の記事を嬉しく読ませていただきました。
当時は大変苦しい、つらい事ばかりでしたが、今日まで生きてきた事により楽しい思いでと変わりました。これも40数年という長い年月がそうさせたのでしょう。先生の文を読みまして何故かしら心の奥からジワジワ と懐かしさ、嬉しさあるいは感動に変わり、本当の美しい物を見るような気がしたものです。さわやかな気持ちにさせていただいて、ありがとうございました。