ある貝類絶滅例
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自然の美学

昔 ここに貝ありき

 この写真のような美しい貝が浜に打ち上げていたのが、1990年以前の日本の鳴き砂の浜でした。 その後、突然姿を見なくなりました。
貝類学雑誌 VENUS Vol.53、No.2 ( 1994年8月刊 ) 150頁 に、日本貝類学会会長 波部忠重先生
絶滅に瀕している貝類
と書かれていることが、鳴き砂の浜辺でも起こっているのかも知れません…。

 顕微鏡の世界でしか知られない環境異変。役に立ちそうもないから、 見る人もいないまま、人知れず死滅してゆくのでしょうか。 このページが日本の貝たちの最後の記念写真にならないことを念じて20万個の貝を見つめています。  最近網野町の琴引浜では復活の兆しが見えたようだというデータもあります。 しかし島根の琴ケ浜からは絶滅のままとの報告が来たままです。
 やむをえず、私は島根では貝をあきらめて、有孔虫を調査しています。なぜか島根では有孔虫がたくさん見つかります。なぜなのかは不明のままです。

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ベニバイとカミスジカイコガイダマシ

 鳴き砂を顕微鏡で覗いているとき感激した写真を2-3お見せします。 詳しくは ホームページ 微小貝 にまとめてあります。
 1mm目のふるいで砂を除くと、貝が割合多い部分が残ります。 完全に姿を残していたものだけを貝の専門家 岡本 正豊 氏に同定して頂きました。 波部忠重先生 まで行って、やっと名前がわかった種もいくつかあります。 鳴き砂はきれいに洗われた粒揃いの砂浜だから、貝もきれいに洗われていました。 貝殻のなかに入った砂は、 特殊な振動で完全に出してやりました ( こういう仕事は顕微鏡写真撮影とならんで粉体工学の得意とするところ)。


ハリウキツボとセンマイドウシガイ

 同じ種でも一つ一つ模様の違うファッションを競いあい、 白い貝は立体的デザインや彫刻を競う。どうして?? 誰がデザインしているの?とある生物学者に聞いたら、

そういうことは神様にきくことだ
といわれました。生きているときは、藻などで模様を隠しています。 死んで砂浜に打ち上げられてこの美しい姿を見せる。 小さく柔らかな貝殻は踏み荒されてまもなく粉になる。これが自然の美学でしょうか。

「あなたがやっていることは生物学でも博物学でもなく、貝供養ですね」

といった人もいます。  この小さい貝が海の中で生活している生態を写真にしたビデオが仁摩サンド ミュージアムにあります。東海大学の奥谷 喬司先生の指導です。


ネコガイ


サドツボ(私はアダナで王様の壷と呼んでいます)とシドロガイ(幼)

 岡本先生との出会いは、「九州の貝」という雑誌に書かれた一文からでした。

 昭和20年代には、津屋崎といえば福岡県下随一の打ち上げ貝の種類が豊富なところで、町の中心部の海岸約1kmは微小貝が多く、この近辺で採集される貝は400種を 数えた。

昔ここに貝ありき」 九州の貝 第19・20 合併号(1983)

そして昭和20年代にたくさんいた貝の名前を記載されました。  以下の一覧写真は仁摩サンドミュージアムで展示している一覧写真の一部です。


大型二枚貝一覧


名前参照


比較的ポピュラーで見つけやすかった貝一覧

 下記の表の番号が図の中の番号に対応します。今までに拾いあげた総数を、 島根の琴ケ浜と丹後の琴引浜別に示しています。これ以外の全ては400種を超え、 総個体数は両浜あわせて20万個体を超えました。 島根の分は仁摩サンドミュージアムで展示されています。
 仁摩サンドミュージアムでは1991年開館後、約1年間は浜辺で貝がいる砂を集めて、 来館者に顕微鏡での微小貝拾いを楽しんで頂いていましたが、 その後プッツリ出来なくなったのは実に淋しい思いです。

琴引浜図鑑  なお京都府網野町の教育委員会では、日本ナショナルトラストの援助を受け 『琴引浜の貝図鑑』(平成3)という美しい写真入の小冊子を出しました。 まだ私自身も不慣れな頃のこととて、ミスだらけですが、それを岡本先生が実に 詳細な正誤表を作成くださり、正誤表つきで読むと貝類学の難しさがよく理解できると評判です。


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