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ある貝類絶滅例 :古龍の異変

人知れぬ環境破壊の現実 : 島根県温泉津町古龍の異変(微小貝の全滅)

 世界最大の砂時計のある鳴き砂の博物館で知られた、 仁摩サンドミュージアムのある島根県琴ケ浜に、 私が公言をはばかって来た異変が1997年にあった。 地元では知られていない事実だが、話しても誰も乗らなかった。 その場所すらほとんど現地でも知られていないから、役場ももちろん関知しない事実。 事実は事実だ。そのごどうなったか聞いていないが、改善されている筈はないと思うから2002年3月再度訴える。


死の形相;1997年7月15日撮影(三輪)
 場所は上の地図にある小さな入江だ。高さ50mほどの谷底が入江である。 ここは仁摩町と隣町・温泉津町(ゆのつ)の境界で、行政区画は温泉津町に属するが、 山林の所有者は仁摩町の人である。かって石見銀山全盛時代には、 古龍千軒といわれるほどに人家が密集していたといわれる。 現在は山になっているが、民家の井戸や石垣が点在している。 この地区は現在は人里離れた場所で、1988年ころにこの地の唯一の住人の家が焼失し無人地帯になっていた。

 1991年2月11日に馬路の貝収拾家同好会の1人である船原きみ子さんの案内で飯田美鈴さん、 志波靖麿氏と私、計4人で同好グループの秘密の場所とされていた温泉津・古竜地区を訪れた。
岩一面に生きた貝やヤドカリが生息しているので足の踏み場もなかった。 同好グループとしてこの場所は秘密にして公開しないことを誓った。

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 ところが1997年7月15日に志波氏が同秘密の場所を訪ねたところ、 状況は一変しビーチにも岩場にも貝の姿はなかった。 海の色も藻が群生しきれいな海ではなくなっていたという。

 1997年8月29日、私と志波氏で現地確認を行った。 なんと渚には珍しい微小貝が打ち上げているではないか。琴ケ浜でかって見かけたベニバイ、 コメツブガイやサクラガイも見つかった。私は夢中で拾いあげて持ち返った。 役場へも古龍は健在でしたと報告した。ところが顕微鏡写真撮影すべく光源をあてたところ、 どうも色合いがよくない。色あせている。 よくよく見ると、数年経過した貝殻なのだ。貝の遺骸。 私は誰も来ない古龍で恐ろしいものを見てしまったことを後悔した。 名前を覚えた貝はなつかしい。なつかしい友人の死を見る思いで、まだ誰にもこの事実を語っていない。

それが私達の生活とどういう意味があるのですか?
とか、
学者さんしか分からないことですね
といったありふれた返事が返ってくるだけだ。
役場では、
「原因が特定できなければ役場としては手のうちようがない」
という返事に決まっている。 貝類の専門家に聞けば
「長い年月の観察結果を見ないとわからないですね。あるとき異常増殖することもありますし」
もし冷静な方だったら「日本貝類学会の前会長、波部忠重先生がとうに(1994年)お見透しだった。 日本の貝類絶滅の危機宣言はすでに出ているよ」 という返事かも知れない。

 仁摩サンドミュージアムには約400種類の貝類資料が展示されている。 博物館はなくなったものを展示するところだから、これでよいかも知れないが、私は1991年開館後、 約1年間にわたって浜辺の砂を展示し、 来館者に顕微鏡で1ミリメートル位の微小貝を拾いあげる体験コーナーを設けていた。 これが唯一の体験コーナーだった。それが中断している。 当時微小貝拾いを楽しんだ子供たちはもう成人式だ。 「あの美しい貝はどこ?」と聞かれたら「まっててね。もうすぐ回復するから」 と言い続けて6年の歳月が流れた。

 ここには生活排水や川の流入もない。人も立ち入らないのになぜ古竜の貝が絶滅したのか? この原因についていくつかの原因の可能性が仮定されるが、特定できない。 一つの有力な原因は県当局指導による松食虫駆除のための農薬スミチオン空中散布があげられている。 この事実を知った町長は即県庁へ電話し、散布中止を宣言した。仁摩町では1991年以来微小貝絶滅故に散布は中止しているが、温泉津町では現在も継続されている。 しかし同町に中止を申し入れるのは行政ではやばいという。 県へ上申するにも事実だけでデータがない。別に1997年秋にNHK報道特集では世界的な 環境ホルモンの問題を取り上げた。 雄の雌化、雌の雄化によりたとえばバイの養殖場で絶滅が出現している現実を報道した。 その原因は船底塗料のカドミウムかもという。 船底塗料とは輸送船の底に貝が付着するのを貝を殺すことによって防いできた。 その極微量の化学物質が恐るべき結果をまねくかもという。 食物連鎖で人類に影響がないとはいえないかも。これには誰も反論しようがないのだ。

俳句の季語に「貝寄せ月」がある。

  貝寄風に乗り手て帰郷の船葉や疾し

   大阪四天王寺の聖霊会 草田男

  2月22日の舞台に立てる筒花は難波の浦辺に吹き寄せる貝殻でつくるので、この前後に吹く風を貝寄と称する称する。大阪湾でも昔は打ち上げ貝があったのだ。

船原のおばちゃんから聞いた話。難波の浦辺の昔話が辺境の地島根でも昔話になるかも知れない現実。

上記についてご意見お寄せください。

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