日本臼類文化学会-臼類資料室の意義と変遷
(臼類とは粉砕用具一般を意味し、鳴き砂も大自然という巨大な臼(millingが莫大な時間をかけて造り出した自然の芸術作品です。臼類は人類に対置できる用語です)
同志社は京都御所と相国寺に挟まれた位置にあり、掘ればどこからでも中世の茶臼や石臼が出る、いわば石臼の遺跡の上でした。その隣には相国寺がったが、その開山・虎関師練(南北朝期)は茶臼を讃えた漢詩「天常動矣地常静 天地之間常有春」を書いています。
1994年工学部が京田辺市の新学舎へ移転。現代風の建追う物は確かにクリーンですが、私と臼類にとっては住みにくい場所でした。研究室名物のもちつき大会も物理的に不可能でした。1998年の春、大学を卒業(定年退職)。臼類を自宅の庭の資料室にとりあえず(不景気風を避けて)引越しましたが、 茶挽き人形も引越しました。燧(ひうち)を媒介して粉の世界と鳴き砂とがつながった感じです。
(入口脇の大形石臼は京都の友禅染織用の餅米を粉にした糊製造用石臼です。これは重いので残っています。
なお鳴き砂については2002年10月、京都府網野町に鳴き砂文化館がオープンしました。そして2005年11月26日(日)そこで日本石臼文化学会のシンポジウムが盛大に開催されました。