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さいたま市在住 井上良子
05石臼シンポジウムに参加して
基調講演 同志社大学名誉教授
毎年、三輪先生を中心にして「石臼シンポジウム」が開催されている。今回は第7回目だった。会場は有志者が開催場所を設定し、インターネットで参加者を募集している。ネット上で募集するため、事務所経費は不要という珍しい学会だ。昨年は鳴き砂の網野町で行われたが、私は都合が悪く参加を逃してしまった。2005年は11月26-27日(土日)に、三輪先生の生まれ故郷の岐阜県養老郡上石津町、緑の森公園にある町営施設「奥養老」で行われた。地方によっては雨が少なかったり、温暖化の影響で紅葉が期待できなかったところもあるようだが、上石津町の紅葉は見事だった。「燃えるような真っ赤な」という表現はこんな紅葉を言うのだろう。テーマは石臼の可能性を追って(粉は美人も作る)古文書にある江戸美人の洗顔剤の復原であった。市販の化粧品業界への強烈な挑戦である。
ふと数年前、京都の紅葉巡りをした日を思い出した。先生に「今年の京都の紅葉はきれいだ」と連絡をいただき、京都に敬意を表して着物姿で出かけた。紅葉名所の参道は錦の絨毯。中でも法然院の茅葺屋根の門に積もった紅葉、木漏れ日からすかして観上げる紅葉は万華鏡のようだった。美しい思い出が昨日のことのように甦ってきた。
今回集まった人たちの顔ぶれは、北は宮城、石川、山梨、埼玉、愛知、長野、岐阜、福岡、長崎、佐賀、大分、熊本と広範囲から出席されていた。職業も石臼を稼動して地場産の小麦、蕎麦製粉を行っている熊本製粉Mから、会社社長、石造美術家、石臼挽き豆腐屋、料理研究家、茶道家、教授、主婦まで多彩な顔ぶれだった。皆、石臼に興味のある方が集まって、発表し問題提起をしていた。
基調講演に立った三輪先生は大病を患ってしまったので、ここ数年で急速に衰えてしまったようだった。普段はメールでのやり取りなので、文章の上では想像ができない痛々しい姿だった。もう私には何もして差し上げられない、無力な自分が悲しかった。そして誰もが迎えなければならない老いだが、「老いの寂しさ」を現実問題として受け止める覚悟のようなものを感じた。
基調講演に続いて古文書による資料を基に「 豆(さくず)」、昔の洗顔料を石臼を使って復元した中石芳哲氏、伊藤正両氏の発表があった。続いて駒澤大学の伊藤達氏氏による古文書から見た「 豆」の歴史解説があった。
奈良時代の造東大寺司解、寫書所解、寫書所納物帳、仏説温室洗浴衆僧経、平安時代の延喜式巻第三十六 主殿寮、温室、江戸時代の和漢山図絵、女重宝記、都風俗化粧伝(正倉院文書)に、それぞれ「 豆」が使われていたことが詳しく書かれているという。
「豆」とは小豆を微粉にしたものである。小豆にはサポニンやたんぱく質が多く含まれている。仏説温室洗浴衆僧経によると「 浴の法は、當に七物を用ひて七病を除去し、七福の報いを得べし。何おか七物と謂ふ、一には燃火、二に浄水、三には 豆、四には蘇膏、五には淳灰、六には楊枝、七には内衣、此れは是れ 浴の法なり。何おか七病を除去すと謂う。一には四大安穏、二には風病を除き、三には 痺を除き、四には寒水を除き、五には熱気を除き、六には垢 を除き、七には身軆輕便に、眼目精明なり。是を衆僧の七病を除去すと為す。云々・・・とある。古来より小豆の粉は身体の汚れおとしとして、高僧はじめ高貴な人たちが使っていた。汚れを落とすばかりでなく、サポニンや小豆に含まれている油分が皮膚に染み込み美肌効果があったとされている。
また薬効としても小豆は気味(甘・酸で平)、下行して小腸を通し、よく陰の分野に入って有形の病を治す。それで津液(体液)をよく行きわたらせ、小便の出をよくし、脹を消し、腫れを除き、吐を止める。しかも下痢・腸壁を治し、酒酔いを解する。寒熱・できものを除去し、膿を排し血を散じ、乳汁の出をよくし、胞衣のおりない産難を下す、などと書かれている。小豆は身体に対して優れた成分であることが古来から知られていたのである。そこで、中石、上石津町の伊藤 正のグループが百%小豆を使った「美人粉」を復活させたのである。その名も「きらら」として売り出すことにした。既に韓国へも輸出している。
お風呂タイムにみんなでサンプルを持っていって洗顔した。多少豆特有の青臭さはあるが、古い角質が取れ、油分が補われるのか、洗った後の突っ張り感がなくつるつるする。評判は上々だった。かくて翌朝は美男美女が勢ぞろいした。
夕食時は、福岡県小郡市から来た殆ど外国出張という貿易商人田中社長のマジックショーがはじまった。スプーンはフニャフニャに曲がる、千円札が二メートルも離れた人の所に移動する。一瞬にして隣の奥様の指輪がポケットの中のキーホルダーに納まっている。箸が丼の上でくるくる回るという、プロ級のすごいショーが目の前で展開された。
二日目は熊本製粉M、松永幸太郎氏の「石臼挽きの粉はなぜ美味しいか」について、VTRを使っての講演だった。近代的なロール製粉と石臼挽き製粉の違いを、近代的な測定器で検査したデータが発表された。石臼は伝統あるオーストリア製大型製粉機が使われている。まず粒子の形状が違う。ロール挽きは粒子が潰れ鋭く削られているが、石臼挽きは粒子が丸い。また栄養成分(食物繊維、ビタミン、ミネラル、アミノ酸など)の含有率が失われていない。小麦の場合、粉は発酵風味にも大きな違いが出ていることがわかった。熊本製粉は国内産の小麦、そばの石臼挽き製粉生産は日本一だという。「家の蕎麦は石臼挽きの粉を使ってます」というお店は、案外熊本製粉のそば粉を使っているのかもしれない。
続いて、宮城県から参加された石造美術家、伊藤聖悦氏の講演だった。毎年参加されていたが初めて今年登場という。この方も三輪先生の著書を読んで、十年前から石臼にとりつかれた一人だった。今では自分で石臼を作り、地域の学校や市民センターなどで石臼を使った蕎麦つくり、黄粉、そばクレープなどのワークショップを行っている。地域において老若を問わず、楽しく活動している様子が伺え楽しい講演だった。私も「こういうこと」ができたらとかねがね思っていたが、肩書きを持たない者には地域に入り込むことは難しい。
次いで石臼挽きで作っている豆腐の話だった。大変な手作業だが「お客様の美味しい」という言葉に励まされて頑張って作っているとのことだった。流通の発達、インターネットを駆使して全国に販売網を広げているとのことだった。夕食に出た「うどん」は熊本製粉製、つゆは豆乳、面白い取り合わせだったが、どちらも日本一のドッキング。珍しい食べ方だったがこれは美味しかった。お土産に頂いてきた豆乳で「埼玉産のうどん」を食べたが、「こんなにコクのある美味しい豆乳は初めて食べた」と家族も絶賛していた。
最後は、三輪先生が収集された石臼の資料館を見学した。私の亡くなったお祖母さんが使っていた石臼も、ようやく安住の地に着いたようである。
石臼の資料館で故郷山形の臼を説明する井上良子さん
もう来年の計画もあるらしい。会場は同じ地にある施設で収容人数2○○名を越える大会場で、同じ村出身の作曲家 江口夜詩記念館。風景明媚な湖畔にあり、宿泊施設もあるという。Musical Sand(鳴き砂)に因んで、有名な作曲家も招待予定と。