増補ー鳴き砂幻想   

海を汚さなければ

   鳴き砂は自然の力で

      砂の唄を回復するはず

砂漠のブーミングサンドも

   人跡未踏ならば

      太古のロマンを語るはず

海と砂漠をゴミ捨て場にしてきた

    人類への警告を鳴き砂は黙して語らない


砂漠と大洋に異変が起こっている

Don't disturve the booming sand

Don't pollute the sea

Listen the song of the singing sand

序文

 沙漠と大洋に人知れず異変が起こっている

原著『鳴き砂幻想』(ダイヤモンド社,1982)が出版されてから2004年で22年を経た。この間、バブル時代のなりふりかまわぬ各種開発活動にともなう土砂流入とゴミや海洋汚染などにより、わが国でまだ健在だった多くの鳴き砂の浜辺は美観とともに砂の発音特性も失っていった。1985年11月にテレビ朝日のニュースステーションで「鳴かなくなった鳴き砂」の放映のあと、1988年元旦の「遥くららの日本百景」を最後にテレビ映像にならない文字通りの幻想の鳴き砂になってしまった。各種のプラスチック屑、廃油、使い捨てびんが散乱する浜辺だが、まだ鳴き砂が健在な島根県仁摩町では、鳴き砂のシンボルとして、世界最大の一年計砂時計を目玉にした仁摩サンドミュージアム(口絵写真)が建設された。引き続き同町では数次にわたって世界の鳴き砂調査団が派遣され、その人脈で1994年秋には世界鳴き砂シンポジウムも実施された。

 仁摩町が6回にわたる調査団の派遣を実施し、同町の息が切れると、京都府網野町が後をつぎ通算10回に達した。そして網野町には2002年に琴引浜鳴き砂文化館に結果が凝縮された。

 日本の鳴き砂の浜の現状をありのままに外国の研究者に見せて、失ってはじめて知る鳴き砂の現状から復活への道程を探ることになった。どのようにして消えてゆくのか、なぜ鳴き砂が海洋や砂漠の環境汚染の目安になるのか。面倒な説明は抜きにして、世界の海洋や砂漠で今起こっている、明暗まじえて10件のホットな事実を紹介すれば誰にでもわかっていただけると思う。

事実1(明)…エジプトのクフ王のピラミッドで発見された秘密の部屋に鳴き砂があった。まさかと思う方もあろうが、疑う余地のない事実である。さらにピラミッドの角度51度は鳴き砂を静かに山積みにしたときの角度(安息角)である。これはクフ王が現代へ残した古環境学への贈り物だったのかも。この砂は2002年にオープンした琴引浜鳴き砂文化館に展示している。

 仁摩サンドミュージアムがピラミッドをかたどった建物になったのもこの事実による。

事実2(暗)……1991年第一次鳴き砂調査団は中国の敦煙にある鳴沙山を中国科学院蘭州砂漠研究所の係官とともに訪ねた。その名の通り鳴く砂の山だが最近観光客が多くなって音を失っていた。一般観光客が訪れない最高地点でようやく鳴く現象を確認できた。

事実3(明)1992年中国科学院蘭州砂漠研究所は鳴沙山の鳴き砂復活のため一部の区域を閉鎖して、復活を策し、一年で砂山が高さ四メートル増したという。さらに奥地には、鳴沙山群ありと報じられた。(図112新聞)

事実4(暗) アメリカのネバダ州ファローンにも原住民たちが恐れたという唸る砂山(ブーミングサンド)がある。(口絵写真の))1992年に第二次鳴き砂調査団が訪れたときには日本製のデューンバギーが群がっていて、その砂の秘密を語る状態ではなかった。同年10月に現地の管理庁(BLM)に風船爆弾のイラスト入りの書簡で対応を促したが、脚注のような返信がとどいた(脚注1)。なお私の書簡(図113)は、現地の博物館で大量にコピーされて、全米に発信された。

脚注I BLMからの手紙(要点のみ)レクリエイション地域管理計画は1985年に書かれ、主要な生態的考慮は地域の植物相や動物相にインパクトがありました。当時にはsinging sand 現象やそれへのインパクトについてはORVが利用できるデータがありませんでした。われわれは貴殿の研究に非常に関心をもっており、情報をいただきたいと考えています。しかしながら現時点では公衆の土地利用者はサンドマウンテンをレクリエイション地域として利用することに強い期待をもっています。もちろん彼らの活動からくるインパクトをモニターしつづけ、起こり得るどのような問題もなくする試みをする所存です。貴殿のコメントに重ねて感謝します。もしさらに質問や追加のインフォメーションがありましたら、私またはスタッフ(氏名記載)にコンタクトしてください。


 同年末に風船に乗ってこの手紙を持ってゆこうとした風船おじさんの話をご記憶のかたもあろうが、このハプニングは彼をおもしろおかしくピエロに仕立て直して報道し、真相をうやむやにしてしまった。現代マスコミのいいかげんさを見せつけてくれた。彼が遭難したとされている、金華山沖は怪しくも事実8の謎の一直線上であることも偶然にしてはよく出来過ぎている。2004年になって彼の娘さんがピアニストとしてハイライトを浴びている(http://x51.org/x/03/04/1447.php)。

 事実5(暗) ひと昔前までは濡れていても、また水の中・でも、鳴き砂は鳴いたものだし、本物の鳴き砂は水の中でも鳴くものである。発音特性を失って行く過程で、乾燥して鳴く状態を通る。しかし現在では皆無、その事実を語る人もいない。ブラジルのリオ海岸に鳴き砂があることは進化論のダーウィンが指摘したところだ。しかもこれが水中で蛙の声に似た音を発生したものである。(約10年前までは実在した。そのサンプルはだいじに琴引浜鳴き砂文化館に保管されている。

 1991年第2次世界鳴き砂調査団はその砂を求めて現地リオ海岸を100キロあまり探したが、林立するホテル群に砂は完全に唄を忘れ、いうなればなれの果て。その事実さえ現地人は知らなかった。この10年間のリオの海の汚れは尋常ではないと、タイム誌が環境サミット特集号で指摘していたのに符合する。

"Rio : Soiled Gem" Those beaches have lost much of their appeal to tourists, because the ocean water are polluted and because beach-goers are volnerable to the crime wave that has overtaken Rio in recent years. The pollution problem is grave : some 400 tons of untreated sewage are dumped in Guanabara Bay every day . . . . . .
TIME, JUNE 8, 1992,

 

事実6(明)…… なれの果てでは、見本を見せることもできないから、人工的に500万年前、鮮新世の地層から出た砂(鳴き砂の化石)を洗って、砂が鳴いて蛙の声を出す小道具(蛙砂セット)を作った。これはいうなれば生け簀の魚のように長持ちしないからスーベニアには不向きであるが、琴引浜鳴き砂文化館で希望者におわけしている(実費)。これを持って世界最後の生き残りを求めて1993年7月に第4次世界鳴き砂調査団はオーストラリアヘ出かけた。ケアンズからセスナで北へ220キロの位置にある非観光地ケープフラタリー。何10キロにわたって続く白砂の浜にパプアニューギニアから飛来したという火山弾が無造作に散乱していた。浜は潮が引いた直後で、蟹の群が陣地構築中だった。砂は濡れていたが見事に鳴いた。

 リオで失われた蛙砂がここでは生きていた。鳴き砂は観光産業にはなじまない。

事実7(暗) 1994年1月22日朝日新聞の記事

 第5次調査団の調査では、轟沙湾が中国唯一の長さ約一八キロの鳴き砂の浜辺であった。「かっての軍事的要衝海南島にリゾート開発急ピッチ」(図1-6)と報じられたが、亜竜湾は鳴き砂の浜辺ではなかった、第一次調査団が訪れた慶門大学の察愛智教授から聞いていたが、1994年3月末第5次 鳴き砂調査団現地訪問。現地では鳴き砂は確認できなかった。中国語の通訳がウソを言っている可能性がある。録音を帰国後中国人に聞いてもらったらどうもウソらしいと。

 ところで本書第8章の謎の一直線を中国の留学生が延長して、度門も海南島もさらにベトナムのカムラン湾も鳴き砂があることを確かめた。地学では説明つかないが、これも事実だから仕方ない。カムラン湾の砂は1994年5月に入手し確認している。その後、さらにその先、ベトナム、タイ、マレーシャと発見が相次ぎ、遂にアンダマン海を隔ててマダガスカル島でも発見された。その向こうは南極である。

事実8(明)1994年2月にミシガン大学の物理学者ブレッツ教授から便りがきた。

「貴殿がB」Mへ送った書簡のコピーをファローン博物館からもらいました。バギー車からサンドマウンテンを守るための貴殿の努力は皆評価しているようです。私たちもBLMや他の機関とコンタクトし、私たちが静かに測定できる日が来ることを望んでいます。前記事実4の風船爆弾効果である。

事実9(明) 中国の砂漠とカザフ共和国には10キロ離れていても聞こえるブーミングサンドの山ありと。第6次世界鳴き砂調査団が1994年8月に中国科学院の協力を得て日中カザフ共同調査を実現したがロシア人のウソでただ沙漠をうろついたに留まり、帰る頃になってアクムカルカンがある話に到達というわびしい結果だった。

事実10(明) シベリア抑留生活の経験者・伊藤俊郎著「秘境バイカル」(国際文化社刊)を紹介いただいた画家大塚勇氏からバイカル湖のパユーシチイペースカ(歌う砂)の地点(図117)を紹介いただいたが、希望者がないままで今〔2004年)に至っている。

 空気を汚さなければ抜けるように青い空がどこでも見えるはず。

夜には満天の星空がひろがるはず。 

海を汚さなければ鳴き砂は波の力で自然に砂の唄を回復させてくれるはず。

砂漠のブーミングサンドも人が乱暴に掻き回さなければ太古からの砂のロマンをとりもどすはず。

21世紀文明は鳴き砂のロマンを語る時代にしたいとは万人の願いである。

あとがき

              -昔ここに貝ありき
序文で書くのを躊躇した重要な事実が、もう一つある。鳴き砂の浜辺では必ず打ち上げ微小貝(口絵写真)があったものだが、ここ2、3年のうちに急速に消滅したショッキングな事実である。海の水をきれいに保つ自然の特別な浄化システムの基本は海側と陸側の豊かな生物群の存在である。前著『鳴き砂幻想』を読んでお便りをいただいた千葉県在住の貝類研究家岡本正豊氏は鳴き砂に関連して微小貝の存在を教えてくださった。『九州の貝』(19、20合併号1938年)に「昔ここに貝ありき」と題し、こう書いておられる。「筆者が打ち上げ貝を求めて福岡県とくに筑前の海岸の海の中道を歩きまわったのは、既に35年以上昔のこととなったが、福岡県下の海岸にも確かに鳴き砂が存在していた。小学校低学年の頃父(有名な鉱物学者岡本要八郎氏)から鳴き砂を教わり、戦後に同行していた後輩に教えた記憶がある。かつてはこの近くの砂浜は打ち上げ貝の採集地だったが、最近は貝とくに微小貝がいなくなった」。丹後や島根の鳴き砂の浜辺には微小貝がたくさん打ち上げていたので、調べはじめて以来私は約10年間微小貝の虜になった。いろとりどり、表面の彫刻も懲りに凝って、まさに貝のファッションショーだった。なぜこんなにこれほどまでに美を競うのだろうか。ひとつひとつデザインが違うのも驚きであった。「こんなチビのくせになまいきだと思いませんか。」といった人もいる。「生物の先生に誰かデザインを楽しんでいるのですか。」と聞いたら返事は「神様に聞きなさい」だった。小さいので海岸ですぐ見つけることは難しい。ふるいで細かい砂や大きいごみを分けてから、一キログラムの砂から何力月もかけて貝を選別する。おおよそ形で分類したものを専門家に同定してもらう。はじめは丹後の貝について南紀白浜の生物同好会会長山本虎夫氏に依頼した。その後岡本氏のご協力で島根の資料についても同定が進んだ。あいまいなものは氏が日本貝類学会評議員の関係で会長波部忠重先生まで行って決定というのもたくさんあった。そして最後には丹後と島根で全個体数が10万個を超え、400種以上が分類され、それぞれ顕微鏡写真撮影して膨大なデータ整理に困っていたとき、私の娘がコンピュータ グラフィックスで図鑑風のデータベースを作ってコンクールに出品したら一等に当選(脚注)。これが現在もバージョンアップされて島根の仁摩サンドミュージアムで常設展示されている。琴ヶ浜に打ち上げる貝入りの砂を展示しておいて来館者に実際に拾いあげていただくことも開館以来一年ほどつづいていた。太平洋岸では各地で減少が伝えられる微小貝が、日本海側はまだ生息しているとよろこんでいた。ところがミュージアム開館2年目から浜辺に打ち上げる貝がめっきり減少し、来館者に拾っていただく貝入りの砂もなくなった。常設展示されている沢山の貝の写真の貝が浜辺にいないのはなぜ?と子供達に聞かれたらどうしよう。それが今の私の悩みである。気候のせいか、海流の変化だろう。来春はと期待、したが、2年目の春にも3年目の春にも打ち上げは皆無。環境学者がいうサイレントスプリング(化学汚染で春が来ても鳥も鳴かない(『サイレントス一プリング再訪』波多野訳1991年化学同人刊)と、記事「病める海生き返る.か1化学汚染生物に蓄積、大量死続発」(朝日新聞1993.11.15)が脳裏をかすめ、丹後や島根や岡本氏へこのことを報告すべきかどうか気が重い。

 別に有孔虫という一ないし0.3ミリほどの生物も同時に調査しているが、こちらも著しい減少傾向が続いている。美しい貝の代わりにゴミが漂着し、鳴き砂の唄もさみしい浜辺で、貝の消息も説明つかないまま。                                                                    三輪茂雄

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