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蛙砂をめぐる4つのエピソード

 鳴き砂は乾燥していなくても、水の中でも発音特性を有することについては1961年にE. BROWNの報告がある。スコットランドのEigg島である。私が知るかぎりこのレポートのみである。

 私はブラジルのリオ デ ジャネイロから送られて来た砂で水中で発音することを確認した。しかし1992年現地を訪ねたがすべてホテルの庭に化したビーチの砂はすでにその特性を失い、もちろん現地の人々もその事実を知らなかった。ところが2000年夏休みにタイ国で発見され、ほぼ同じ頃オーストラリアのタスマニア島で東海大学の木村正雄教授が現地でも水の中で発音するビーチを発見した。そこで再び山形県飯豊町遅谷の蛙砂が注目されることになった。

  地質図によれば、飯豊町(山形県)遅谷の 鮮新世の地層に、5000000年前の日本海の古い浜辺の浜辺がある。 この地層に鳴き砂が地下に眠っている。これはいうなれば鳴き砂の化石である。水中で摩訶不思議なカエルで声が出る。 ぜひそれを聞いてください

Episode 1

 1991年の仁摩サンドミュージアムのオープニング セレモニーで、砂を含む原料粘土100gを展示した。 そこに「もしカエルのが声が出たらあなたに10000円差し上げます」と書き添えておいた。たまたま見学にきたその砂の会社の社長はそれを見て怒った。 社長:「人を馬鹿にするな。君は日本中からいっぱい来たらどうする?」  私 :「やってみますか」 そして、私はその原料の粘土を彼に渡した。 社長:「よーし俺は一晩ここに滞在して、やってみるが本当に金をだすか」と言った。私:「もちろんですよ」。 彼は勇んで.宿へもって帰った。そして翌朝、彼は眠そうな顔で現われた。 社長:「俺は、夜を通し洗い続けたが鳴く気配がない。なぜだ」 私:「 それはただ洗っただけではだめですよ。 あなたは欲があったでしょう。 涙と汗を混ぜ合わせなければ」 社長:「わかった。わかった。君のいう通りだ」

エピソード2

 1990年5月、私は蛙砂が確かにカエルの声であることを確認したいと思った。そこで飯豊町の白川湖畔でテストすることになった。 NHKのカメラマンがついてきた。 しかし、いつまでたってもカエルは現れない。 カエルの気配もない。 およそ1時間経過の後、カメラマンはやがてそれをあきらめて、引き揚げた。 私はなおしばらくそこに留まった。

 カメラマンが去って約30分くらい過ぎただろうか、水の輪が湖の対岸から来る気配がする。 カエルが波の環のトップにいるではないか? 私はカメラマン呼ぼうとしたが、それではすぐにカエルが逃げてしまう。 そのうちカエルが、近づいて約10メートル手前で止まった。 私はカエルの頭を見ることができた。そしてカエルは横顔を見せている。耳をそば立てているのだ。 私はもう夢中で蛙砂セットを振り続けた。 それが5分ほど経過しただろうか。やがてカエルはがっかりしたように草叢の中に隠れた。 カメラマンは、後悔して、「もう一度」と言った。 私は、「冗談じゃない。またとやれるもんか」と言った。 子供の頃砂が水で泣いた記憶を言う人がいる。 しかし、日本ではそれは滅びて、現在は水中では泣かない。 最近2つの情報が入った。タイ国とオーストラリアだ。とくに2000年10月20日の鳴き砂サミアットIN室蘭で東海大学の木村正雄教授からいただいたオーストラリアのタスナミア島の砂はそのまま蛙になった。

エピソード3

 ところで、この声は本当に本物のカエルに似ているのか? それをカエルの専門家に会ってテストする機会があった。、 京都の法然院で、カエルの専門家が池のそばで実地講義を行うという。 私は セミナーに参加し、講師の後ろについて行って、後ろで蛙砂を振った。 「あ、カエルの声?!!」 人々は、驚いて、振り向いた。 しかし、時期から判断して、カエルは鳴くはずがない。 専門家はそれが確かにカエルの声ですと私に保証を与えた。 ところで、これに挑戦して成功した人はない。だれもできないから構わないが、念のため特許第2016667にした、現在このおもちゃのを1トン級にしてスケールアップして、恐竜の叫び声を演出するという記念碑建設計画がある。

 島根県仁摩町で1トンの砂を充填したガラス容器を製作した実績がある。できるはずだ。

Episode 4

  飯豊町のイベントでは本当のカエルが審判員だった。  1998年8月、飯豊町小学5-6年生の夏休みの自由研究で私がリーダーとなって蛙砂セットを作った。カエル砂セットの製作法を初めて公開である。

 それは、地元の土から砂を洗い出して蛙砂を作るレーニング講義であった。 その飯豊町の地下にあるる粘土が原料である。 その粘土は、3000000年以前の、鮮新世の地層に含有されている。 3000000年は子供たちにはあまりに大きいのでわからない。 人が実感できるのは、長さ、容積と重さだけである。 最初のステップとして、理解のためにテープ年表を作った。 子供らに、人類に3000000年のテープ年表を作らせたのである。

 鳴き砂にするには、砂を洗う必要がある。 しかし、仕事は容易ではない。 まずこどもたちは田圃の畔から粘土を掘りだした。 実験データによれば、砂と水を2488km(日本最長の信濃川の8倍の長さ)動かす必要がある。砂と水の長い長い旅である。 私は、直径22 cmで、1分間60回転するポリエチレン回転円筒で水と砂の運動を実現した。 子供たちに電卓でその計算をやらせた。 学校で学ぶ数字よリもはるかに大きい数だが、彼らは電卓で計算することができた。 さすが現代っ子である。彼らは皆正解を出した。5-6年生に2年生の子もまりれこんでいたが、ちゃんと答えを出した。 機械は水車を使った回した。 われわれは、近くの田圃から1匹のカエルを捕えてきた。 審判は、このカエルだ。 この田圃の所有者は、心配そうに見物に現われた。

  いくつかのテレビ局が取材に集まった。 田圃のカエルたちも何事かと目玉キョロキョロ。 みんなは粘土を容器にいれて回転させた。 彼らは、すごい濁りに驚いたた。 機械運転中に、まえもって準備していた洗った砂を子供たちに与えて、カエル砂セット作らせた。 田圃で捕えたトノサマカエルは、音によって反応した。 カエルは、反応して飛びあがった。 子供たちは、大いに満足した。

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