第一回中国鳴き砂調査団報告
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中国鳴き砂調査団 ( 西安・厦門・上海 )

西 安 (セイアン) Sian
20日:12:45西安空港着 :中国科学院西安分院外事所長 李喜堂氏が出迎え
20日:14:00西安鐘楼飯店(超豪華ホテルで部屋がいくつもあった)
20日:18:00中央テレビ5で鳴沙山を大勢で辷るシーンがあった。鳴き音は無し。
20日:18:30餃子宴会(30種類!)
20日:20:00就眠
21日:7:00起床 (今日は月曜日)
21日:8:30朝食
21日:9:00車で出発時間があるので市内見学
道中でスモッグが著しい。兵馬よう博物館見学
21日:10:30秦始皇帝陵 (ツーソtoilet有料2角)
21日:12:30揚貴妃の風呂御殿
21日:13:30昼食後、城門上へ上がる。
21日:15:00城門を出て空港へ
21日:16:00西安空港着
21日:17:40西安空港離陸(雲多く下界見えず)
21日:19:30抗州で休憩30分(待合室)
21日:20:10離陸 -杭州経由-厦門へ

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厦 門 (アモイ) Amoy
21日:21:00厦門空港着陸(暖かい24℃の海の匂いにほっとする。
厦門空港着陸(暖かい24℃の海の匂いにほっとする。
やっと沙漠から出られたという開放感…。
ここでトラブル:出迎えなく通訳がタクシーなど手配中、日本人2人だけで荷物を監視していたら、 しつこくタクシーに乗れ、と勧誘にくる。Noというが通じない。
黙っているとやがて数人のウサンクサイ人相のわるいのに取り囲まれた。
わけのわからぬことを言われ、返答もできない。 やっと王さんが戻ってきて決着。通訳不在でいるのは危険と痛感。
21日:22:00タクシーで厦門大学へ
昨日は日曜だったため、再確認できなかった。
大学賓館はだめ。先生の女性助手の案内で別のところに宿泊することに。
21日:22:40鷺台大飯店着(ナイスルーム)
22日:8:00朝食(窓から砂漠ではなく、海が見える)
蔡愛智(Cai Aizhi)厦門大学教授(海洋学)と
昨日の助手が案内にきてくれた。
22日:9:00車で出発、「すぐそこ」 と 120km の行程…
22日:12:00深滬湾到着
ここは人民日報1991.4.9.に、海底古森林の謎として紹介されていた場所。

福建省晉江県瀕臨東海的深滬湾

顆粒細小、晶瑩潔白 優質珪砂(石英沙)
として紹介されたところ。

 鳴き砂とは書いてなかったが、石英砂に注目して鳴き砂か調査した。
ここは松に似た木が海岸に生え、林のなかに純白砂が堆積し、 それを工業用に採取していた。トロンメルなどがあった。
 海岸線の形も打ち寄せる波も琴ケ浜に酷似 していることも楽しかった。
 砂は湿っていて、カラス容器では鳴かなかった。持って帰ることにした。砂は純白である。

22日:15:00湾退去
22日:15:10民家で昼食。子供たちを混えてと写真をとった。
22日:15:40帰途、交通トラブル(通行料が必要だった)。
厦門大学近くの中国華僑寄贈の大学施設見学
22日:18:20ホテルに戻る。
19:00-20:00夕食
教授と助手をまじえて懇談。とても気さくな先生で違和感はまったくない。
先生は中国海岸の鳴き砂については以前から、調べていた。 研究者が中国には仲間がいないので、一人でやってきた。

日本に仲間ができてうれしい。資料の交流をしようと極めて積極的だ。
中国海岸には鳴き砂が沢山ある。 海南島 にも北部にある。
しかし鳴沙山の砂は体験したことがない。屈さんとも連絡はないとのこと。 ここでも専門分野の差があった。
高温石英はなぜ調べるのか、学問的に意味がないのにといわれるので、それには文化的意味があるからだというと納得。 幸運石英と考えることも了解。
蛙砂は北京と敦煌に置いてきたので、あとから送ることを約束した。 内外の鳴き砂文献も送ることを約束した。謝謝。

中国ではとにかく役に立つことがないと、金がでない。日本でそういう研究があることはすばらしい。 基礎研究はいずれは役に立つことがある と。約に立たない研究が大切だ。

23日:7:00起床
23日:9:00島へ舟で渡る 参考用に貝の玩具購入
23日:15:30厦門大学(教授は会議のため、外国交流センターロビーで夕方まで待つ。
23日:16:30教授が空港まで送っていただいた。
23日:20:00厦門空港離陸
航空機の座席は最後尾で、冷蔵庫脇のコーナーだった。 そのため前の席がないから、岩瀬さんと大声で冗談を語りあい、時間のたつのを忘れ楽しい旅だった。

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上 海 (シャンハイ) Shanghai
23日:21:40上海空港着。ホテルは明日の都合で空港近くに。タクシーに乗るのにまたトラブルがあったようだ。
23日:22:30西郊賓館(外国国賓が宿泊する高級ホテル。最近ではゴルバチョフが泊まった。)
24日:7:00起床(外音なく静寂)チンチン チョンチョン ファファと…
24日:9:00出発
24日:11:40上海空港離陸(雲の上)
日本上空から雲の上に富士山がくっきりと見えた。
24日:14:35成田空港着   これで調査団行動終了

この旅に同行した岩瀬さんは1996年急逝された。おしいことだ。
彼ははじめて鳴沙を体験したもう一人の日本人だった。

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