第一回中国鳴き砂調査団報告 |
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鳴き砂目次 |
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敦 煌 (トンコウ) Dunhuang | |||
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1991年18日:9:45 | 敦煌空港着:迎え 屈 建軍(Qujanjun)蘭州沙漠研(敦煌で鳴き砂研究) | ||
18日:10:00 | 敦煌賓館(Dunhung Guest House)着: 日本世界鳴沙調査団 腕章出来 | ||
18日:12:00 | 昼食。屈さんから研究報告をもらった。(王さん預け) | ||
18日:14:00 | 敦煌博物館見学 | ||
敦煌博物館 |
碾磑はなかった。 謝? 生保氏案内 胡開需氏案内 八分画の石臼(上石)発見!
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敦煌民俗事務所訪問 (博物館長)
50年程前の碾磑があったが、 |
敦煌民俗博物館 | ||
鳴沙山へ(月牙泉 : Crescent Moon Lake)ここは観光用で砂は鳴かなくなっていた。 鳴沙山の位置は唐代より不変 という。 | |||
18日:18:15 | ホテルへ戻り、屈さんを交じえて夕食(長野からの観光客がいた) | ||
敦煌は常に私の研究の原点 だった。
Mingshan、碾磑、Buddha 今ここにいる感激 | |||
19日:7:00 | 起床 | ||
19日:7:45 | 出発 (道中、車内で 鳴き砂音頭 を歌った) | ||
砂が鳴く鳴く砂が鳴く 琴姫さまの 琴の音を 今に伝えて 幾百年 ここは島根の仁摩の町 | |||
19日:9:00 | 現地:一応観光ルートの莫高窟を見学 | ||
ここは写真撮影禁止区域のため、カメラを預ける。 屈さんの案内で再び莫高窟へ別ルートから入り、非公開の仏像一体を拝観。 まさに仏陀降臨を思わせるすがすがしさに感激。仏は頬に紅がさしていた。 正面の建物の頂上まで上がってから、砂丘登りに入った。 ここからが本物の鳴沙への道である。ここは完全に閉鎖されており、 外国人で入ったのは貴方がたが初めてですよという。 人が入り込むと、鳴き砂はすぐに歌をやめることを充分知って、必要な手だてをしているのである。 このことは、日本でも学ぶべきことであると思った。観光収入がどうのということをいう人はいない。
ここには駱駝がいないので砂丘登りは自分の足でゆくしかない。
砂丘の角度は40度を越える箇所が多い。ここに来ると砂が一足ごとに崩れるため、はなはだ登りにくい。
さて、いよいよ鳴き砂の実験。砂より先に胸が高鳴る。
スタート、いっせいにすべり始める。足の前方に動く砂の量が辷りおりるにつれて多くなってくる。
空には薄い巻雲がまるで仏の絵図のように浮かんで、
私が仏陀の世界に入ったような錯覚に誘われた。 その晩、ホテルに帰ってこんな詩を書いた。 | |||
山頂上で成功万歳を叫ぶ調査隊 左から王、筆者、屈、岩瀬
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Long years up to the present. NHKなどが、 鳴沙山が鳴くのは風が峰を切る音だなどと言ったのは、とんでもない話である。 | ||
19日:14:00 | 食事(事務所で) 莫高窟見学 謝生保さん案内 | ||
19日:17:30 | 屈さんが実験したブーミングサンドのビデオを見せてもらう | ||
残念ながら、中国のVHSはシステムが違うためそのままでは日本で見えないとのこと。 | |||
20:00-22:00 | 市街地の露天でうどん、さつまいもをたべる。ホテルよりここの方が楽しい。 | ||
20日:7:00 | 起床 | ||
20日:9:00 | 敦煌空港 | ||
20日:9:50 | 離陸し西安へ |
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