第5次世界鳴き砂調査団 中国海南島(HAINANDAO) 1994年3月31日
(鳴き砂を訪ねて中国経済特区を行く旅)
同志社大学工学部 三輪茂雄
同行:東海大学海洋学部海洋工学科教授木村正雄 中国科学院国家計画委員会 朱 元曾
今回の調査の目的:
第1回調査団が、中国の深滬湾(厦門)を訪問したのは謎の一直線上にあるためだった。厦門大学の蔡 愛智教授から海南島にも鳴き砂ありと聞いていたが、最近の朝日新聞(1月22日付け)記事「海南島リゾート開発急ピッチ」でこの地の亜竜湾近くがすざまじい開発が行われていると聞き、危機感を抱いて急遽訪問することになった。中国科学院国家計画委員会の紹介で、海南省科学技術庁を訪問して、同庁の車で立ち入り禁止区域を案内していただくことができた。(結論からいえばだまされた旅だったがこれも貴重な勉強になった。ウソはあとからわかった。中国ではよくあることという)
3月26日P.M1:50発中国東方航空MU524で上海着5:00上海出迎えは顧 揺法(Gu Yao Fa)さん
3月27日上海発10:30CZ3516で海口空港着12:55
海南省科学技術庁副庁長 馬道文氏らの出迎え。打ち合わせにより、予定を変更して急遽同庁の車で現地に出発することになった。案内は英語が達者な全 博氏。
14:40海口発、(目下建設中だから一部完成。途中は交通遮断中だが庁長の車だ)の高速道路を経て約7時間を要して21;30三亜着、南中国大飯店泊
3月28日8:00発今回の目的地亜竜湾へ(ここで奇跡が起こった)
確かにきれいな浜辺があったが、オーストラリアで見たような浜辺ではなかったので、がっかりした。しかしつぎに不思議なことが起こった。亜竜湾の東の浜辺へ出たところ、そこに簡単な屋根の下で果物を売っている婦人がいた。朱さんがなにか話しているうち、「この人砂が音を出すこと知っているといっていますよ」といいだした。これは大変だと再度聞き直してもらってビデオに収めた。現地人のため朱さんや全氏にもわかりにくいようだったが、大要は以下である。「大潮の日には海の水が大きく引くので、遠浅ができて、普通は行けないかなり遠くまで砂地ができる。そこで貝などを拾いに行くとき、足元で音がする。」それはどんな音かと、蛙砂セットを聞かせたら「その音だ。場所はあの辺だと指差した。」
うそを言わされているとは思い難い雰囲気だった。新月か満月の日を選んで再度おとずれて確認することと、別の人物にも当たって見るよう中国側に要請しOKとのこと。
これで今回訪問の意義は十分あったと私は思った。「鳴き砂が発見出来なければ日本にかえらんぞ」と言っていた木村教授も満足した様子だった。
海口への帰途に白砂がありそうな2箇所に立ち寄ったので、ホテル着11:00「海南六合大厦」泊。
3月29日 8:00副庁長と夫人および地元の貴族といわれる許 達文さんらと朝食のあと、市内を車で巡回。
12:40海口発CZ3943中国東方航空機で深川(土ヘンに川Shenzhen)着13:40
空港を出たところで、タクシーを探していると、7〜8人の雲助風のこわい連中に取り囲まれた。朱さんは悠然としてコノモンドコロ(警視庁相当)を出したら静かになった。15:40南油酒店(ホテル)入
深川は1979年以来の経済特区指定地区故、いたるところ建設ラッシュ。
3月29日11:00発上海着再び顧 揺法さんが出迎え。ホテル(金島温莎酒店)入14:45夜市内メインストリート南京街を車で見物し、食事は日本部長 李 蔚平(Li Wei Ping)さんらと。3月31日8:00空港9:00 ここで約5日滞在の朱さんと別れ。
離陸12:00成田帰着
総括感想
海南島:年平均気温22〜26℃人口660万(内少数民族として苗族ほか 100万)経済特区をゆく今回は建築ラッシュの工事場を車で疾走する旅だった。これまで2回の中国は厦門を除いてほとんど北の砂漠地帯だったのにくらべ環境が大違い。経済特区とは一挙に巨大都市を創生するので、高速道路と高層オフィスビル、それに高層マンションが一斉に建設されている。まさに壮観というべきで、世界がおどろく中国人のエネルギー爆発と言った感じ。さてこの20世紀末の万里の長城は耐用年数はいくらだろうかと、気になる。とくに目についたのは、ビル外壁の工事用足場が、鉄パイプ構造ではなく、鉄材不足を補う中国ならではの竹篭だったこと。30階を超えると思われるビルに天までとどくような竹篭が林立する景観は現代建築史上の壮観というべきか。これは上海でも海南島でも深川でもまったく同じ光景が見渡す限り展開していた。