リンク:「天平の碾磑」:臼類日本史年表


基調講演予稿

  観世音寺碾磑実測調査結果と豆腐製造の可能性   

                    同志社大学名誉教授        三輪茂雄

会場特別展示物:石臼の粉砕メカニズムを見せるダイナミックアートはインターナショナルであり,西洋はローマ時代,東洋は漢の時代にシルクロードを往き来した東西技術交流の古代史を考えさせるもの。

1. いまなぜ石臼か:西洋は蛋白源の大豆を飼料とする牧畜に依存した肉食を基本にしている。一方アジアの食文化は豆腐や豆乳をはじめとする味噌、醤油、納豆など蛋白源を大豆に求める工夫が肉食と平行して行われてきた。大豆を家畜の飼料とする食物連鎖の頂点の肉食は資源の浪費であり、これは食糧危機を招く。この視点でアメリカなどでは東洋の豆腐が見直されている。インターネットでトーフ(tofu)を検索すると2万件がヒットする。そして豆乳と母乳やミルク,チーズなどの栄養価の比較表がついていて,東洋に学べと書いてある。

2. 東洋の現状:韓国や日本では家庭用石臼が現在の生活様式,とくに住居にマッチしないことと,豆腐が腐敗しやすいため,スーパー販売の大量生産の豆腐が主流を占め,消費者の豆腐離れをもたらした。一方で伝統の石臼豆腐は1丁1000円とか,マスコミをにぎわせている。これは誰が見ても異常である。小麦製粉は19世紀にロール製粉機が石臼に代わる機械として完成した。だが東洋の豆腐製造用石臼はそれに代わる機械が不満足のまま今日に至っている。大豆をつぶしてできる豆乳も水の中に分散した粉である。物質を粉にする機械のルーツは石臼である。

3. 太宰府・観世音寺の講堂前の通称「天平の碾磑」:臼類日本史を見るとその存在は不可思議である。小麦を挽く石臼ではないことは確かだ。それは臼の目が深く掘られており,しかも目の上部はツルツルであることから小麦を粉にすることはできない。上下臼の目の組み合わせも乾いた粉を作るには異常である。水に浸して柔らかくした大豆に水をそそぎながら挽くのだった使える。溝が12mmの深さであることも豆乳を流しだすためだとすればうなずける。宇治市万福寺にある中国から隠元禅師がもたらしたといわれる石臼も小型ながら溝は5mmだ。

4. 当時の殺生を禁じる仏教の教えに基づく精進料理に豆腐は不可欠だったことも合わせ考える必要がある。漁業が盛んな九州では通用しなかったのかも。

5. 日本書紀の記述:「「推古天皇の18年( 610年)春3月、高麗王、僧二人を献じ、名を曇徴,法定,はじめて碾磑を造る、けだし碾磑を造るは、このときにはじまるなり」。問題はこの時代に豆腐があったかどうかだ。中国では紀元前淮南が発祥の地だとされていることの根拠を現地淮南をこの11月に訪問し確認した。

6. ヨーロッパの石臼:1997年に福岡県下の工場に直径が1.7mと観世音寺の碾磑を上わまる巨大石臼が輸入された。現在小麦製粉に実働している。ヨーロッパの石臼は非常に小型の手頃な機械も発売されている。これが今後どう発展するか不明だが,ひょっとすると日本で豆腐を介して東西文明の交流が起るかも知れない。石臼の世界化は,このヨーロッパの石臼を豆腐用に改造するところからはじまるかも知れない。

7. 豆腐屋はイメージチェンジ:朝日新聞の天声人語で紹介された松下竜一著『豆腐屋の四季』のイメージは30年前のものである。冷蔵庫が普及し機械も変わった。 現代的サニタリーでマスプロでない本物の石臼豆腐の出現が期待されている。

8. 折しも2000年にはつくば国際会議場で第3回国際大豆加工利用会議が予定されている。http://ss.nfri.affrc.go.jp/(行事案内参照)話題の中心は豆腐。

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