リンク:豆腐屋のイメージチェンジ


昭和44年講談社刊第一刷(福岡県行橋市下検地183-6 のオンライン古書店いるか書房iruka@seafolknet.or.jpより入手)

http://www.seafolk.co.jp/vmall/iruka/index.html

 

朝日新聞天声人語の記事                                       以下は天声人語(1998年11月23日(朝日新聞朝刊)の記事だ。「 『松下竜一その仕事』全三十巻・河出書房新社)−の刊行が始まつた。第一巻は、ちょうど三十年前に自費出版の形で世に出た第一作『豆腐屋の四季』だ。「老い父と手順同じき我が造る豆腐の肌理のなぜにか粗き」  そのころ松下さんほ、大分県中津市の小さな豆腐屋だった。きょうだいは多く、家は貧しがった。大学進学をあきらめ深夜に起きだし、豆腐をつくり、配達して回る。弱虚弱な体に、仕事はこたえた。「豆腐いたく出来そこないておろおろと迎うる夜明けを雪降りしきる」▼嫁いできて一年にも満たぬ妻が,まだ生まれぬ子どもの未来をいう。「豆腐屋だけぱ継がせまいね」。作者とその周囲の人たちの、日々の暮らし、人間のかなしさ、美しさを歌と文章に飾ることなく映して、この本は読み返すたびに新たな感動を誘う。「眠りとの闘いのごとあぶらげを揚げ継ぐ深夜幾度よろめく」。いま九七%の高校進学率は,当時75%。いま十世帯に八世帯が持っている車は,当時は十世帯に1,2世帯。夜明け,近くの漁ぶるに帰ってくる船がどっと魚を水揚げすると、人ぴとは朝からその魚を食べた。「漁季の来て悲しきまで魚食ぶる漁村に豆腐売れずなりたり」▼松下一家は、日にやっと二百余丁の豆腐をつくる。ところが、日産三万丁の豆腐工場が生まれ始めた。工場製は半値である。「深夜を勤労して造り出した二十五円豆腐に非難は集中し、マスプロが労力もなく産み出す十円豆腐を社会は歓迎するのだ」。勤労はもはや美徳でない、と作者は書きとめる。機械はつぎつぎに労を省き苦への忍耐が薄れるとき,そうやって身心の労がなくなり,苦への忍耐が薄れるとき,はたして私たち人間は何ひとつ失っていないのだろうか」。こんど読んで,そんな個所にも目をひかれた。「マスプロの豆腐に怯え寂しけど爪剪りて浄き豆腐造らん」                            

私はものたりない気がしたので 天声人語氏へ下記の手紙を出した。

 「 天声人語氏は小説のストーリーを紹介したあと,身心の労や苦への忍耐など修身的訓辞をやっているだけなのはガッカリした。  日本の現実を直視してみる。ホームページの検索で豆腐で出すと無数のサイトが出てくる。新宿では何の列かとわけわからずに並んだ東北弁の男が1丁1000円豆腐と知ってあきれた話。こだわり豆腐の店が各地にあり,それで1万円の豆腐料理を出す大阪のホテル。島根県温泉津では12月5日(土)に本物の豆腐を味わう会ありと。日本豆腐起源調査団が中国・淮南へ派遣され,12月12-13日(土日)に大分・湯布院で豆腐をテーマのシンポジウムありと。今や日本国は豆腐乱戦時代だ。  日本には豆腐についての偏見が充満している。現実はこうだ。生大豆を1晩水に浸けてやわらかくなったものを石臼で挽いて出来た呉を,それを煮てから布で搾る。搾った粕はオカラ,汁が豆乳。豆乳が熱いうちににがりを入れて凝固させ,柄杓ですくい上げて型に入れると豆腐が出来上がる。この工程を自動化したのが日産何万丁というマスプロ豆腐工場だ。11月に中国淮南で見た豆腐博物館でも,展示しているのは確かに石臼だが,現実に食べさせていた豆腐は高速粉砕機で造ったものを圧搾機で搾ってできた呉にグルコノデルタラクトンまたは硫酸カルシウムで凝固させていた。これでは博物館ではない。その豆腐で多様な豆腐料理を作って市長さんや学長同席でご馳走になった。さて最後にお礼をいう羽目になった。私は勇気を出して言った。「確かにきれいなご馳走でしたが,正直言って豆腐そのものはマズかった。博物館は淮南王が教えた通りに豆腐を造ってほしかった」。一瞬緊張した空気が宴会場にただよったが,「その通りだ。わかっとる」と。日中友好外交の粋を遂行した思いで淮南市を辞した。  天声人語は確かにほかにも論点を指摘している。1つは豆腐屋は薄汚い貧しい店のイメージがあるが,今は冷凍設備完備の現代の豆腐屋は早起きしなくてよいし,豆腐も宅配便利用だ。小さくてもサニタリーなハイカラな店だ。もう1つは魚との関係だ。日本は海洋国だから魚抜きでは食生活はない。日本に仏教が伝来したとき,魚取りと殺生禁止の戒律との関係があったに違いない。その対策に中国や高句麗から渡来した僧侶たちは自国の豆腐文化を日本にもたらした。だが上陸した地は魚の豊富な博多だったから,豆腐は日本人になじまなかったに違いない。遠く海から離れた盆地であり,しかも仏教の中心となった奈良や京都に入ってようやく豆腐が日本に定着したのであろう。これを韓国の調理学者たちと論ずるのが12月13-14日の湯布院シンポジウムなのだ。  さらに検索をアメリカに広げるとtofuだけで何万件もヒットする。豆腐は人類の食糧危機を救う。日本に学べと。西暦2000年には日本の農水産省主催の第3回国際大豆加工利用会議の案内があってその表紙は豆腐である。別に副産物のオカラ利用問題もある。天声人語氏もたまには web pageに目を通してもらいたいものだ。ちなみに筆者のweb pageはhttp://www.wao.or.jp/smiwa/j_index.html 」

1998年12月1日に返事がきた。

「拝復 いつも「天声人語」を読んでいただき,感謝しております。

このたびは,貴重なご意見を寄せていただき,ありがとうございました。これからの参考にさせていただきたいと存じます。

 力およばぬことが多いのですが,さらにご叱正,お力添えを賜ればさいわいです。

 早々

  朝日新聞論説委員室「天声人語」担当。

 〒104-8011 東京都中央区築地5の3の2

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