田沢湖の失われた白妙の砂
むかし、田沢湖の近くに、辰子という美しい娘が、母と二人で住んでいた。辰子は自分の
美しさを永久に失いたくないと思い、観音様に願をかけた。
満願の夜、お告げに従ってひそかに山を越え、山で岩魚を焼いて食べたところ、はげしく
喉がかわいてきた。辰子は谷間の湧き水を飲んだが、飲めども飲めども渇きはやまず、
ついに雷雨を呼び、山津波を起こして、大きな湖をつくり、見るも恐ろしい大蛇に化身
して水の底へ沈んでいった。
辰子の母は、娘が人間界に帰れぬ身となった口惜しさに、燃えさかる木の尻を湖水に
投げつけて慟哭した。この木の尻が鱒になったと伝説にいう。
現在の田沢湖は、一周ドライブウェイが完成し、湖畔には近代的建物が出現して、
一大レジャーセンターとしての観光開発が急速に進んでいる。
静かな湖畔の森のかげから、もう起きちゃいかが? と郭公(カッコー)が鳴く…
こんな風景はどこにもない。むかし「お国のために発電所が必要だからお前は死ね」
といわれ、大蛇に化身した辰子姫も、木の尻鱒も、田沢潮の自砂も、従容として死んで
いった。
でもその死は無駄だった。1980年代になると、
「今度はエネルギー危機だ。原発をつくるんだ。お前は死ね」
と、日本の各地で白砂も青松も死んでいった。日本人のかけがえのない心のふるさとを
永遠に失うことと、原発と、どう対比すればよいのだろうか。
三輪茂雄著『鳴き砂幻想』(ダイヤモンド社、1982年刊より)
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- 新田沢湖物語--お前ば死ね(白妙の砂)