埼玉県新座市の初見祐一さんからの情報
「田沢湖の鳴き砂の記憶、小学校の田沢湖へ遠足のとき、引率の先生から聞いた鳴き砂の記憶の持ち主、香取悦子さん(埼玉県春日部市在住)は、ご自身の記憶をさらに確かにしようと、出身中校の先生方に手紙を出されました。標本として残っていない。あまりよく知らないなどの返事が来ます。そこで田沢湖に引率された小学校の先生に40年ぶりに手紙を書いて見ました。その返事の一部のコピーを同封します。「この3カ月に年賀状がきっかけになり、20人もの人が動いて一応このように落ち着きました。私自身一つの物語りが終わったような気さえします。皆さん楽しまれ、いい夢を見たなどと感じておられます。日本の砂をとりまく状況はひどいものですが、一度鳴き砂を知ると、人々は目を輝かせて動きます。鳴き砂の魅力は大きいです。
1993年4月14日」
先生の記憶
「町史編纂室長の佐藤さんの記憶では昭和22年には鳴き砂が確かに鳴っているのを知っていたし、20年代は鳴っていたと思うといっておられます。だから悦子さんの遠足の思いでは正しいと思います。20年代に私は教会日曜学校の宿泊研修会や、ボーイスカウトの指導者講習会で、たびたび湖畔を訪れていたので、鳴き砂のことを悦子さん達に話したかもしれません。」
三輪茂雄の意見:
昭和22年ころはまだ湖周遊道路はなかったから、白砂は残っていた可能性がある。しかし鳴いたかどうかは、木の尻鱒死滅の事件以前までたどらねばならないと思う。その前に僅かに私の手元に残っている白砂は石英だから必ず鳴くはずだ。