よこ杵は手返しが必須で、水が入りもちがまずくなる。
個人プレイで座も白ける。
上の絵のようなのがふつうだが、江戸時代中期頃に農作業用の臼の大型化から太鼓胴に変り、杵もハンマー状の横杵にかわって行った。太鼓胴になったのは、太鼓屋が副業につくったので手抜きしたものだ。生産性第一思想の民俗版である。
千本杵は上図のたて杵を簡単な木の棒をつかって本数を無制限(最大10本)にしたもの。山が近ければ間伐材で十分だ。横杵のような危険を伴わないので、子供(幼稚園児)が飛入りでつくこともできる。私は約百人の幼稚園児ばかりのもちつきを指導したが、大人の手伝いなしに10臼もの餅をつきあげた。 ハンマー状の横杵では熟練を要し、かなり危険をともなう「もちの手返し」作業が必要である。ところが千本杵は、一挙につき上げるので、その必要がない。そのため打水がいらないから、うまい餅ができる。はじめての子供でもすいすいである。かけごえをかけて「手返し」つきで二人でやるのは、家庭的でいいが、集団の場合には座が白ける。多人数が集まる集団行事が次第に家庭毎になった生活様式の変化もあり、そのため個人プレィの色が濃くて、多勢の場合には座がしらける。それに比べると、千本杵は集団行事の光景が展開する。すこし粘ってきたら全員掛け声で上にもちあげ、歓声を挙げる。
私の研究室では1980年代以来、恒例もちつき大会をほぼ毎年12月26日に開催していた。場所は京都御所の北隣にあった同志社大学キャンパス。1993年で十回目になったが、その後研究室が郊外の新館に移転して以来、中断している。(1997年末大学の教職員組合がこともあろうに今出川キャンパスでハンマー杵でのもちつき大会をやる案内を見た。研究室が毎年行事をしていた雑草園もいまは完全舗装になっている。よその学部のことだからかまわないが教養のなさにあきれる。) 今年の年末には新学舎でも伝統を復活しようという声があったが、現在の校地の風土とイメージにマッチせず学生の盛り上がりも今一つで中止した。残念だが私は道具類一式を近く持ち出して当分保存することにした。
これは2002年末に勇者と名乗る方が伝統のもちつきを復活させた時の蒸籠蒸しの景色だが、同志社と区別がつけがたい。嬉しい話だ。