リンク:九州に残っていた千本杵


京都の伝統行事だった千本杵

 かって京都のお寺には東寺をはじめ方々で年末のもちつき行事があった。清水寺の正面の山門を入ってすぐ左手に入ったところに成就院がある。直径一メートル余の巨大な木製のくびれ臼が注連を張って安置してある。洛東・山科の方から山姥が頭に乗せて持ってきたという伝説がある。兎のもちつきのような杵でついた。、大勢のときは「千本杵」といって10本くらいは平気である。この行事が中断したのは戦時であった。当時この寺に駐留した軍隊が冬の暖房用に燃やしてしまって、木の臼だけが残ったという。兎のもちつきはたて杵、くびれ臼だが、郵便切手で花さか爺さんがよこ杵でもちつきの絵が出たことがあったが、これも伝統の風化である。もち博士として知られる古川瑞昌著『餅の博物誌』(東京書房、1972)にもよこ杵の出現は日本では新しく、菅江真澄の『百臼の図』や浮世絵を引用して、すくなくとも両用の時代があったと述べている。

 柳田国男の著書(『木綿以前の事』(角川文庫、昭和49、67頁))によると「横に柄のあるこの形状の杵(よこ杵)が生まれなかったら、蒸した糯米を潰して餅にすることはできない」(「団子と昔話」)とあるが、これはさすが柳田先生でも明らかに誤りである。そのことを実証するために、大学の研究室で千本杵を作って実験したのが私の研究室の恒例になった(毎年12月26日)。臼は弥生時代以来の胴の部分がくびれた「くびれ臼」である。ここに縄をかけて吊って運ぶ。くびれの12枚のひだは私の手製である。十二支の思想であろう。

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