西洋では機械ふるいの発達は遅れた
粉づくりに不可欠の篩(ふるい)
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粉づくりの発明は人類史上最大の発明だった

もし粉を作る方法の発明がなかったら? -- 人類は旧石器時代のままか、さもなければとうに滅亡していた --

 
2000年1月2日(日)午後9:00-10:30NHK BS2「人類史上最大の発明に出演予定は 突然大晦日になってキャンセル通知あり。やはりNHKには粉は難題だったらしい。人類史上が2000年にスケールダウンした。
理由はヨーロッパ取材材料で満杯とか。人類史上最大の発明はまたの機会にと。

 粉づくりの道具である石臼(臼類)の発明は人類文明史の基本である。1999年11月5日、神戸市立博物館で開催されている大英博物館古代エジプト文明展を訪ねた。もしかして?私は期待して訪れたが、ミイラ、ミイラ、棺桶、棺桶、やはり私が期待したものはなかった。 なぜか。石臼は宝物ではないからである。現代の博物館はツタンカーメンのマスクに象徴される骨董屋的発想に留まっている。人類史上最大の発明(エジプト文明を支えたサドルカーン)は影も形もなかった。ただひとつ、魔除けのためにつかわれたという小さな蛙の置物が目に付いた。続々詰めかけている小中高生たちはどう感じたのであろうか。

  旧石器時代の人類は、採集狩猟で食糧は十分まかなえた。洞窟絵画の時代がそれである。洞窟絵画を書くために使った色粉,それを作る石器(石の臼)は人類が粉を造ったはじまりだったに違いない。粉を作ることを覚えた。当時のこの粉の発見が人類の食糧危機を救い人類文明のはじまりになろうとは考えてもみなかった。旧石器時代ののどかな狩猟採集の生活は、やがて人工増大と乱獲が野生の生物を食いつくし、食糧不足から鳥しか食べない草の実を食べなければ生きてゆけない深刻な食糧危機に見舞われた。(21世紀の人類の運命に酷似している。)

 いままで見向きもしなかった草の実を食うのに,絵の具つくりの道具が役にたった。こうして石臼は野生植物の種子を主食にする必要のなかから生まれた。西南アジアでの野生植物の利用は、すでに17000年前の石器時代から、ぼつぼつその存在が確認されている。たとえば、10000万年前ごろ(12000-9000年前)のイスラエルのナトゥフ遺跡では、住居に穀物の刈り取り用具と粉砕用具(石臼)が散乱し、穀物貯蔵用の穴が設けられている。こうして人類は定住、牧畜、農耕生活に移行していった。そして臼の大型化が人力の限界まで進んだ。

 臼には搗き臼と、上下の石で穀物粒を摺る「すり臼」がある。日本ではいずれも臼とよぶが、機能も用途も違うので区別して考える必要がある。この双方が遺跡から出ている。確かな形を整えた二種類の石臼(石製粉砕用具)の出現である。旧石器時代にはたいした重要性がなく、ときに気紛れに使ったのかも知れない、

 大型化-→---→

 ここでもう一つ重要なのが、分離操作である。草の種子は固い皮に覆われていたり、皮がデンプン質の部分に食い込んでいて、そのままでは食べにくい場合が多い。種皮を分離せずに、煎って粉にして食べられるものもあるが、皮つきではとうてい主食にはなりそうもない。皮を分離して除去し、デンプン質の部分だけを集めることによって、粉つまり全く新しい素材が出現する。分離しなくても、粉にすれば食べられるが、分離した方がはるかにうまい。そして何よりも乾いた粉は貯蔵性がよく、後で多様な食べ方もできる。

 分離には、種子の種類により二つの方法がある。たとえば米や粟のように、皮がデンプン質に食い込んでいないものは、凹みのある石臼で搗けば皮が分離する。これを風にかざせば皮が分離できる。(ここに小麦文明と米文明の基本的な差、西欧と東洋の差がある)。小麦は搗くよりも、摺る、つまり磨砕して粉にした方がよい。粒に湿りを与えておけば、皮は細かい粉になりにくいので、分離できる。草の種子のついた穂から種子だけを集め、余分な部分を除去するには、口で吹くか、風にかざす分離法が可能である。さらにそのころにはある種の織物もあったから、木の蔓(つる)や繊維を組み合わせた植物質のふるいや獣皮に孔をあけたふるいなどをゴミの除去に用いたと思われるが、残念なことに、腐敗しやすいために遺物として発見される可能性はきわめて少ない。

 そして5000年前のエジプトのピラミッドの時代には粉をつくる道具としてのサドルカーンを初め一連の道具の体系が完成し,壁画に粉の、まさに完璧な工程図が出てくる。驚くことに現代の粉体プロセスはこれを機械化しただけである。

                   エジプト文明をささえた粉造り。

 

 とにかく粉砕と分離という二つの操作、つまり粉の基本技術を組み合わせた物質精製法の発明が、草の種子を食糧資源として利用することを可能にした。はじめは、飢餓を切りぬけるためのひとつの方法としてはじまったが、食用になる草の実の探求、役に立つ草の選別育成、それに必要な新しい道具体系(鎌、鍬、連枷(からさお)、貯蔵設備など)の開発が行われていった。農耕、定住による村落の形成、そして生産コントロール.システムとしての社会組織も変える、数千年をかけての人類の生き残りをかけた大変革のはじまりであった。

 文明を支えた無数の下々の民衆は、生産力の増大を強いられた。それまでのチッポケな石臼ではピラミッドを作るための膨大な労動者を食わせられない。大英博物館には下図のような石臼が保存されているが、わが国では紹介されたことがない。 なぜだ? 博物学は骨董屋の延長線上にあり、道具ことに機械ものは視野外にあるらしい。

 粉づくりに伴ったふるい分け(Storck,Teagueの著より

採集狩猟から文明への段階でエジプト文明を支えた サドルカーン(saddle quern)

 さらに進んで機械文明への道を拓いたのがロータリーカーン。 サドルカーンの進歩の究極として現れたのがロータリーカーン であった。ここに西欧文明の出発点があった。ロータリーカーンは現代もそして未来も、回転を基本とする機械の原点である。車輪よりもはるかに複雑なメカニズムだから。

 石臼が果した役割は大きかった。粉の文化のスタートがここにあり、現代もまさにその延長線上にある。第二の食糧危機や現代文明が破壊した自然の回復という21世紀の大課題に立ち向かおうとしている今、この原点に立ち返って見直す必要があるようだ。

動員された無数の人々の食糧はどうして賄われたか

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