アラビアンナイトの馬毛のふるい
節の歴史は穀物用からはじまる。はっきりと篩を使った作業が確認できるのは、エジプト時代の、王のために粉をつくる女の像である。
エジプト時代の臼、サドルカーンと篩がセットになって、かの壮大な大工事に従事した人々の食事をまかなうことができた。篩が文字に現われるのは紀元1世紀に書かれたといわれるプリニウスの『博物誌』(中野定雄著、雄山閣、1986)で、篩網の材質が書いてある。ガリアの諸属州(ゴール人)は馬の尻尾の毛でつくった一種の篩(ボルター、bolter)を発明した。一方ヒスパニア(スペイン)は細かい篩と粗い篩(sieve and meal-dresser)を亜麻でつくった。そしてエジプトではパピルスとトウシンソウ(papyrus and rushes)でつくった。また成立時代はよくわからないが、インドにはじまり、ササン朝ペルシアに移って、8世紀半ばすぎ、アッパース朝の初期にペルシア語からアラビア語に訳されたといわれる『千一夜物語(アラビアンナイト)』には「麝香を篩にかけているように思える微風が……」とか、「汝は忍耐の乳鉢中に己が身を打ち挫き、謙譲の篩にかけて、己が身をふるい」などの表現があり、なかでも興味深いのは、馬と獅子の対話の一節である。「私が老いぼれて、もう背中が十分にしなやかでもなく、持ちこたえもなくなり、筋力が奴の望むほど速く私を飛ばせなくなった暁には、奴は私をどこぞの粉挽きに売り払います。するとこんどは、夜も昼も水車小屋の挽き臼を廻させられ、もうすっかり老いさらばえてしまうまでやらされるのです。そうなると粉挽きは私を屠殺人に売り、私は屠られて、皮を剥がれ、皮は車屋に、毛はいろいろな節の製造業者に売られてしまう! イブン・アダム(人間)相手の私の運命はこうしたものでございます!」(908夜)。これは東洋の馬毛の飾である。ごく最近まで、馬の毛は篩網の重要な材料だったが、その起原は古いことをうかがわせる。