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顆粒で構成された土
土から砂を分けると粉の土だけになる。土の粉はハイテクの超微粒子と同しくらい細かい。母なる大地の土は、まさに粉そのもの、粉なる大地であり、粉ゆえに生命が宿っている。ゆたかな土壌は、一ミクロン以下の微小な粒子が集まって、ゆるい塊、すなわち顆粒をなしている。それがまた、たくさん集まって、隙間のある土壌の構造ができあがっている。微粒子はそれだけではカチカチに固まるが、この顆粒と適度に混じっている砂粒子が、それを妨げる。この隙間の性質に土の機能の秘密がある。顆粒の間には大きい隙間があって、空気と水が往き来する。大きい隙間は水と空気のハイウェイ、小さい隙間は水を強く保持する小路地である。こうしての水の保持と水はけという相反する機能を持つことができる。吸い取り紙が水を吸うのは毛管現象だが、土も粒子間の隙間が、毛管の役割をする。土の中の水は高い減圧状態にあり、土の種類や状態、細かさによって、水を引っぱる力はさまざまだが、そのおかげで、晴れた日が続く真夏でも、土の表面
は空気より低い温度に保たれる。
舗装された京都の夏は昼も夜もたまらない暑さだ。冷房がなかった時代は、さぞかしと思うが、そうではない。京都御所や大きなお寺へ行ってみれば、樹木が多く、床が高いので、縁側に生れば快適だ。舗装して住みにくくし、ばくだいな金をかけて冷房して、クーラーから発生する熱風は隣の家へ追う。どう見ても現代の生活は合理的ではない。その揚句、危険承知で原子力発電所を限りなくつくらねばならぬ
。
粉なる大地ゆえに、ここには、無数の微小な生物が育まれている。豊かな土壌一グラムの中には、数千万から一億もの生命が宿るという。まさに微生物(水神様)の王国だ。水神様もそこに住み、汚水を飲料水に変えている。そしてそれが大自然の物質とエネルギーの循環系を形成している。ところがあたかも、この微生物に依存しない人間の文明が可能であるかのごとく、日本中でベター面
の舗装工事が進められた。クルマが通りやすいため、コストが安いため、単純な理由だった。
大部分はコンクリートで塗り固められ、雨が降ったら、水は土にしみこむことなく、ただちに下水道に入り、つぎにこれもコンクリートで固めた川を経て、海へ注ぐ。土にしみ込んで、土を洗い、微生物を養う作用は全く果
せない。そのかわりに各種の有毒物質が浸み込む。京都市では日本中でも特別に汚染がひどいので、井戸水を飲料水に使わないようにと、お触れが出た(京都新聞1986年10月20日)。トリクロロエチレン、テトラクロロエチレンなどの発ガン物質があるという。舗装した大地の下は、死の大地、その上にいつまで続くか現代文明が栄えている。