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地卵(じたまご)
その土地産のにわとりが生んだ卵のことを地卵(じたまご)という。いまどきそんなの求めるのはぜいたくそのものだ。
昔はどこの家でも鶏(にわとり)を何羽か飼っていて、自家用の卵をまかなっていた。暁を告げる雄鶏の声から一日の活動が始まる。こんな自然時間が支配する風景は、今ではもうよほど草深い田舎へゆかなければ見ることもできない。昭和52年の夏のこと、岐阜県の秘境、揖斐郡徳山村の最奥部の村落で、なつかしい風景に出会った。鶏が何羽か散歩している家の前にはこんこんと湧出る泉があり、,遠く谷川の清流がやさしくささやいていた。現代文明が大自然を侵略しつくす以前には、すべての人達がこうして自然と対話しながら生活していた。「これが現代の日本一ぜいたくな暮しですね」といったら「わしもそう思う」と、ご主人の金之丞さんはうなずいた。その何年か後そこは徳山ダムの底に沈んだ。人間はどこへゆけばよいのだろうか。
現代の養鶏は完全に専業化し、巨大た集約飼育場が出現した。それは工場そのものであり、鶏はコンベアーで運ばれてくる飼料を卵や肉にかえ、再びコンペァーヘ送る生物学的装置の一部にすぎない。昭和52年の統計によると、全国の採卵鶏総数一億六千万羽、卵の生産二百万トンというから、鶏の数は日本の人口を超えている。飼料工業も巨大化し、生産量は鶏用だけでも年間一千万トンに近く、原料はとうもろこし、マイロ、大麦、裸麦、小麦など。これらを粉砕・分級・配合などの工程を経て、合理的な形状に造粒される。典型的な粉体処理技術の粋だ。原料はいずれもアメリカ、オーストラリヤ、カナダなどすべて外国から輸入される。卵は国産でも飼料はすべて外国の土壌に育つ。狭い日本列島は、祖国の国土キャパシティーをはるかに超えて増殖した人口を養うには、外国の土に依存するしかない。世界史上いまだかつて、外国の土壌に依存して栄えた文明はなかった。この日本文明の結末やいかに。
鶏が庭を潤歩していたのどかなる時代のこと。筆者の故郷では夏になると卵をねらって青大将が侵入してくることが多かった。真夜中、けたたましい鶏小倉の騒ぎを聞いて、おっとり刀でかけつけた。日本刀を振るっての蛇退治だ。薄暗い灯火に映し出される蛇の姿はいかにも無気味でこわかった。ところでこの蛇の後始末だが、放り出しておけばまもなく鳶がやってきてもっていってくれた。あるときひとつの実験を思い立った。折しも食糧不足の頃、これも生餌として食糧増産に役立てようというわけ。ミミズぐらいの大きさに切り刻み、米糠をまぶしてやると、おそるおそる食べ始めた。これを蛇退治のたびに繰り返しているうちに鶏も次第に味を覚え、切り刻んでいる間ももどかしく日本刀のまわりに集まり、やがては蛇を見つけると、目の色かえで追いかけるまでになった。それはそれはすごい気の強さで、とさかの色も真っ赤だ。まさに「とさかに来た鶏」になった。
さらにおどろいたことに、卵の殻が固くなり、黄身の色 の鮮かさはそれこそ、「これぞ卵黄色なり」といわんばかりで風味も抜群。食物のもつ支配力をこれほど明瞭に見せつけられると、少々気味わるくたり、この実験は中止した。毎日その卵を食べつづけたら、きっとその鶏のようにたくましくなるだろうと思ったが、気がきつくなったりすぎて、蛇を食べたくなったりしては困るからである。
この実験を思い出すたびに、ふと気になることがある。最低一万羽が普通といわれる現代の養鶏場の卵は、歩くスペースがまったくない監獄に生活し、ひたすら人工飼料を食わされる宿命の鶏達が生む。当然、黄身の色はあせ、殻も軟らかい。黄色の色素やカルシウムを飼料に添加して生ませた卵を食べつづけていてよいのだろうか。ストレスのかたまりのような鶏の卵はマンション住いの現代人にぴったりの食物かも知れないが、とてもたくましい日本人は育ちそうもない。
さいごにひとつ、いじきたない話。団体旅行で輪切りにしたゆで玉が出たら、較べっこしてみるがよい。黄身の直径が最大のところが中心部分だ。しかしよろこぶのははやい。不公平をなくすために円筒状に成型する機械ができてどれも一定直径なのである。
(この文はアサヒグラフ1978.12.29掲載記事に加筆した)