リンク:失敗作の行くえ類似例
札幌植物園の石臼
メリケン粉 安政六年(1859)の開港にともない欧米から入った工業製品のうちにアメリカから輸入するメリケン粉があった。ロール製粉による十分精製された真っ白い粉だったから、おどろきだったに違いない。粉といえば小麦粉を思い出す日本人の意識はこのあたりからきているようだ。明治6年(1872)に官営製粉札幌製粉場が設立された(『粉食のパイオニアー日本製粉(企業の現代史)』フジ・インターナショナル刊、1964))。このとき操作が簡便なため旧式の石臼製粉所も札幌や浅草に設立された。北海道などの小麦を挽いたが原料麦が粗悪なため、よい製品は得られなかったという。 その当時不要になった石臼が札幌植物園に展示してある(北海道大学農学部管理)。水車を動力とするもので、アメリカから輸入された石臼製粉の中古プラントに付属していた。『北海道開拓使事業報告』によると、明治六年夏に操業され、北海道で栽培した米国種の小麦を製粉した。当時の北海道開拓使顧に就任したケプロンはその報告で次のように書いている。 その機械の巧妙なる、従前の米を舂き或いは手による挽臼を以て粉を製するが如き比に あらず、観る者皆其の旧法を改良するに、斯く便利の機器あるを驚嘆せざるなし。是れ 此粉磨(石臼)は日本に於ける先鋒車にして北地開拓の一重要エポックと云うべし」。 だがこれはケプロンの自画自賛であったようだ。工場は製材と同じ建物で行われ、一台の水車を動力としたもので、「諸機械相接し塵埃混入し難渋甚し」の状態であったという。しかも臼だけで付属機械のふるい分け機械などは従来通 りの、手作業だった。また「小麦の善悪を撰ばず濫りに磨せしを以て其の品位甚だ悪く遂に麺用に供すべからず」というわけで牛馬の飼料に払い下げたという。 翌年から工場は放置され、いつしか土に埋められた。1952年に発掘された。1976年に筆者が計測調査した詳細記録は『粉体工学研究会誌』13巻10号(1976)にある。使い物にならない道具の運命はいつの時代も類似の経緯をたどるらしい。
平成11年に札幌植物園の石臼記念碑が建設された。 http://www.nippn.co.jp/event/isiusuhozon.htm
「この度(平成11年5月20日)、北海道大学農学部付属植物園内において、「石臼保存建物等竣工記念式典」が 挙行されました。弊社は会社創立100周年記念事業の一つとして、かねて北海道大学に寄贈したわが国最初の輸入製粉器の石臼について、その保存上屋、由来説明板等の装いを一新、これを北海道大学に寄贈し、このたびその記念式典が北海道大学農学部の主催で開催されました。式典には北海道大学から 丹保総長、太田原農学部長、日本製粉から 澤田社長、上村取締役など多数の方が出席しました。」
しかし由来説明板にはきれい言だけで事実は語られていないのは残念である。