リンク:日本は神の国でなないのですかイスラムの仏像破壊五木寛之著『他力』


 アフガニスタンでイスラム原理派のゲリラが7世紀頃の有名な仏教遺跡の大仏様を爆破している映像はオオバカといおうか、おおバチあたりというか仏教徒でなくても腹立たしい。イスラムとは何だとまじめに勉強したくなって、この際まじめに宗教について考えて見たくなった。本屋で見つけた小冊子は大いに役立った。筆者はジャーナリストだから非常に客観的に宗教をとらえている。

 冷戦が終わって、つぎの紛争の種は複雑に絡ん宗教問題と民族問題だという。キリスト教のカトリック,プロテスタント,ギリシャ正教、イスラム教はスンニ派とシーア派、仏教は大乗仏教、南伝仏教およびラマ教、このほかにユダヤ教とヒンズー教がある。さらに東洋には儒教・道教など。

 この本を読むとアフガンの仏像問題だけでなく、イスラエル-パレスチナ紛争もインドネシアのイスラムも、日本史におけるイエスキリストの宣教師のことも分かってくる。

 

 石川純一著『宗教世界地図』(新調文庫、2000)362円

ヨーロッパ世界の拡大の先頭に立ったのが、宣教師たちである。東洋伝道のためインド、マラッカを経て1549年に鹿児島に来たイエズス会士、フランシスコ・ザビエルもまたその一人だった。

 織田、豊臣、徳川の時の最高権力者が、一時的にはその力を利用しながらも、最終的には宣教師らの背後に潜む危険性を察知し、キリスト教弾圧に回ったのは歴史の示す通りである。宣教師にとって、キリスト教こそが文明であり、異教とはすなわち未開を意味していた。彼らは、「福音」という名の武器を携えて、未開と戦ったわけだ。だが、その未開の大地に、福音とともにもたらされたものが「植民地支配」であったこともまた事実である。世界地図の上に点々と分布するキリスト教地域は、そのことを雄弁に物語る。現在、諸宗教の色分けはほぼ固り、植民地主義の時代は遥かな昔のこととなったが、布教・伝道活動は依然として活発だ。ただ、財団法人日本カトリック移住協議会の「海外派遣宣教者の便り」によると、現在の宣教・伝道は「キリスト教国から非キリスト教国に宣教に出かけることだけではなく、どこの国の人であっても、また、どこの国でも、たとえ、言語や習慣や文化が違っていても、誰とでも、共に生きられる、共に神に祈りを捧げられる、共に神の子として、互いに兄弟として生きられるということを証していく相互交流」の姿に変わってきているという。熱帯雨林の「未開の人々」の中に入り、食糧や医薬品や物資を無償で提供し、識字教育の ために学校も開く。それは確かに無私の姿だ。しかし、そのために消えゆく文化もまたある。それが「未開の人々」にとって果たして「福音」なのかどうかは、誰にもわからない。92年10月12日、「新大陸発見五百周年」のセレモニーが、コロンブスゆかりのドミニカで行なわれた。ローマ法王も訪れたため、カトリックの信者も大勢集まった。しかし、その陰では抗議行動も起こっている。メキシコではコロンブス像が汚され、エルサルバドルではコロンブス像の顔が破壊された。ドミニカでは爆弾事件で負傷者まで出たのである。

 ソ連の解体と世界の混沌は、ある意味で現代の「未開」をまた生み出したともいえる。それは、キリスト教、とりわけカトリックの今後の宣教活動にも、大きな影響をおよぼすことになるだろう。

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