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日本人の宗教観はキリスト教など諸外国の宗教と違っていることを示す。

 この本は2000年5月15日に森喜朗首相がホテルニューオータニで神道政治連盟国会議員懇談会での神の国発言をめぐってマスコミが大騒ぎしたことを冷静に考えた本である。私はこの本の表題を本屋で見て、あらためて「神のくにではないのか」と聞かれて「ハッ」とした。まともに考えてはいなかった自分を反省したのである。そのあとまともに今宗教について考えておかなければいけないことに気づいた。これは現代の重要課題なのだ。

 いわゆる神の国発言の全文速記録の紹介からはじまる。つぎにそのときの新聞各紙の記事が紹介される。そして「神の国」だけにひっかかって、これをバカな発言として歪曲した報道に迷わされてはいけないことを解いた本である。

加地伸行著『日本は神の国ではないのですか』(小学館文庫、2000)476円

98ページ 加地伸行(大阪大学名誉教授)

 「日本の仏教は多神教的であって、例えば、真宗・浄土真宗にしても、阿弥陀仏のみを仏として崇める教義がある一方、自分の祖先の供養をちゃんと行い崇めるという矛盾を犯して平気である。キリスト教徒は日本では百万人以下しか存在しないが、彼らとて肉親の死者に対してお供えをしたり、その写真を飾ったりして、日本仏教流の先祖供養(実は、その源流は儒教の祖先祭祀)と同じことをし、彼らの唯一神以外の「神」を拝んでいる者が多いのである。それは、本来の教義から言えば、異端である。

 そもそも、日本においては、神道は決して特定の宗教ではない。われわれ日本人は神社にも寺院にも参詣するし、クリスマスも祝う。教会で結婚式をする人が、葬式は仏教ですることもある。それを無宗教と嘲笑するのは、一神教のみを宗教と思っている人の独断にすぎない。多神教的な宗教意識を持っているからこそ、神仏にはスペアがあり、その場合に応じて適当な神を取捨選択するという行動をとる。キリスト教における唯一神ヤーベ(エホバ)もそれら神々の内の一つと考えているから平気で受け入れているのである。これが大多数の普通の日本人の「神々」に対する感覚である。むろん、特定の宗教にこだわっている少数派の人々が、正月にも決して参拝しないということはあり得るだろうが、そういう人たちに正月に神社への参拝を強制するような形での「国家神道の復活などあり得ない。」

P.122 佐伯彰一(文芸評論家) 

 「日本人の宗教観とは一体どんなものであろうか。そもそも日本人は、日常生活で宗教を強く意識しながら生活をしている民族ではない。キリスト教のように、特定の神があり、教会に通って週に一度は神を再確認する、教義に沿った生活を送ろうとするというのとは全く違う。もちろん、神社や寺院に定期的に参拝している日本人もいるだろうが、明確な教義にこだわるわけではなく、ましてや賛美歌を歌ったり説教を聴くわけでもない。むしろ生活習慣的な行動を基本としている。 普通の日本人は、常に自分が生活している周りの自然やもののうちに人間を超越した意志を感じ、それに畏れを抱いていた。そうしたものが日本人の宗教観といえよう。自然教、先祖教といえるものである。

 日本には神社に代表される八百万(やおよろず)神信仰があった。草花をはじめ、岩や川、火など、およそ自然界にあるものにはすべて神が宿っているというアニミズム思想とも言えるだろう。また、自然だけでなく、人間ですら死んだら神として崇めてきた。平将門をはじめ菅原道真、靖国神社など、人を祭った神社は全国に存在している。そして、その司祭の長が代々の天皇であった。

 現代の日本人の多くが、自分たちは明確な宗教を持たない無宗教な民族と、考えて いるようである。しかし、宗教心が全くないというのはいささか乱暴な割り切り方で、日本人の伝統的な思想の中に、キリスト教のような一つの神をいただくという価値観がなかっただけの話というべきであろう。

 「人も死ねば神になる」これは日本独自の宗教観といえるのではないか。また、平将門や菅原道真のように死んだ入間が黙るからそれを鎮めるために祭る、あるいは、崇るからむやみに関わら.ないといつ.た畏怖の念とともに禁忌の観念を持ち続けてきた。

 ここに町本人の神に対する根深く一貫した考え方が見いだせるのではないか。唯一神を崇めている国では、死んだ人間を祭ることもしなければ、ましてや死者が神と同じ等の立場になるなどという発想はない。

 こうしたことからも、唯一神を掲げる国と日本とでは、宗教観やそこに派生する価値観、文化が大きく違うことが理解できると思う。また、今回の発言を憲法的、あるいは政治的な解釈から「天皇を絶対君主視した発言」ととらえるのは誤りではないか。むしろ日本人の心情を素直に、それだけやや言葉足らずのまま表現しようとした発言ととらえるのが自然な気がする。

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