リンク:マルクスの石臼論マルクス遺稿


私と石臼とのかかわり

  私が石臼を本気でとりくみはじめた本当の理由はいままで語らなかったが、それは1924年に入学した名古屋大学時代にさかのぼる。当時星野芳郎の技術論の理解に関係して資本論を調べる必要がでてきた。

 「資本論」の和訳(長谷部訳)に「すべての機械の原基的形態はローマ帝国伝来のワッサーミューレ(水車)である。」とあった。水車はWassermuhle(ワッサーミューレ)の訳だ。ミューレとはなんだ。前後関係から察すると工場の意味らしい。この辺りまで調べてマルクス学者なんていいかげんなものだ。いずれ調べてやろうと思ったまま大学を卒業し、つづいて会社に就職したのでマルクスなどというのはヤバくてそのまま忘れていた。

 1966年大学に移る前年のこと。工場で従業員の仲間と雑談のなかで、O(荻原)さんが「あんたは粉砕の専門家だといばっているが、蕎麦は挽けないぜ」といった。「そんなバカな」といい放ったが、翌年大学へ行くこと聞いて、彼は1対の目立仕立ての石臼をもってきた。「あんた大学へいったらどうせヒマだろうから、これ研究せえ」。人生の行方を変えた彼は私の大恩人だが消息不明である。

クージン著、金子.馬場訳「マルクス技術論」(大月書店-昭48)は大いに役立った。

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