リンク:マルクス資本論の石臼
マルクス遺稿にある石臼論 (この文献を紹介してくれたのは当時研究室助手 伊豫谷鈴子だった)
マルクス エンゲルス全集第2版,第47巻1861-1863年草稿(和訳)より
「粉砕機」という見出しで、ドイツの技術史に関する一連の労作の著者ホッペの文が引用されている。
『原始的に穀粒の破砕が行なわれた。はじめは穀粒は石でつぶされた。そのあと搗き臼あるいは乳鉢をつかうようになり、その場合、穀粒は杵でついた。つづいて、叩くよりも、こする方がよいことを見出した。すなわち、乳鉢の杵(乳棒)に回転運動を与えた。これは杵の軸に固定して人がまわす把手を介して行なうのがもっともよく、それとほとんど同じものはコーヒーミルである。かくて手挽き臼()が発明された。はじめのうちは女奴隷が挽いたが、後には農奴に委ねられた。後になって杵は著しく重くなり、把手は連結棒にとりつけ、それは馬、雄牛やロバが挽いた。それらの動物達は目を覆うことによって円周上を連続的に運動しつつ、穀粒をつぶす杵をまわした。したがってすでに馬臼(家畜やロバによって動かされるミル)が存在し、その効率は手挽き臼よりも優っていた。後になって馬臼は改良され、はじめは球形であった杵がより目的にかなったものになり、回転させねばならなかった乳鉢よりも便利になった。時の経過につれて、杵は大きくて重い円筒状の石に変り、それは他の大きな石の上でまわすことによって穀粒を微粉砕した。上の石はランナーと呼び、もう一つは下石と呼ぶ。円筒状ランナーの中央には孔があいていて、それを通じて穀粒を注入し、そしてランナーと下方の間の面に出て粉砕される。』
残念ながらマルクスの著述にはいっさい絵が示されていないのでわかりにくいが、回転挽き臼の出現とその発達過程についてのべており、搗き臼の杵を回転させることからはじまって、その杵の形と大きさが変化して、ついに回転挽き臼になるという考え方をしている。これを具体的に考古学的資料によってあとづけ、また水車や風車などの動力機構との結びつきや、さらに製粉工場の姿をとったときのいわゆる粉体プロセスを詳しくたどることはどうしても必要なことであろう。
なおマルクスは回転挽き臼が小アジアから来たと書いている。これはまったく技術史の問題であり、十分に研究されていそうなものであるが、なかなか文献をあさっても、満足できるものが見つからない。とくに製粉であるから、中心的な対象は石臼であるのに、石臼の発達史になるとなおさらである。人間が回転運動を石臼において見出し、応用し、さらにそのために畜力、水力、風力、蒸気力という動力の利用も発達してゆくのであるが、肝心の臼の方はどうもはっきりしないというのは、どういう訳なのであろうか。