石臼がひき出す日韓交流

--- 消え行く傾向に危機感,研究者招きシンポ --

1999年(平成11年),1月11.目(月曜日)日本経済新聞 朝刊(文化欄)より

ソバの実などをひいて粉にする石臼(いしうす)。日常生活の場ではとんと見かけなくなってはいるが、それでも豆腐や抹茶、和菓子作りには今でも欠かすことのできないものだ。自然食ブームもあって、最近は石臼を見直す人たちも出てきた。昨年末、私たちのグループは、韓国の研究者を招き初の「日韓石臼シンポジウム」を大分県の湯布院町で催した。

[多種多様な50人集結]  韓国からは最長老の中央大学校の尹瑞石(ユン・ソソツ)家政大学名誉教授をはじめ、ソウルで家政学などを教えている女性の教授六人が来日した。日本側は粉体工学の専門ながら石臼研究の第一人者で、「石臼博士」の異名すらある三輪茂雄同志社大学名誉教授が代表だった。.さらに大学の助手、製粉会社の技術者、農家の方、石臼に興味を持つご婦人など約五十人が集まった。遠くは秋田や鹿児島からの参加者もあった。石臼は約一万年前から使われている最も古い道具の一つである。殻が硬い穀物を粉にして食べるというのは、人類にとって食糧革命でありグルメ革命でもあったろう。イスラエルのナトゥフ遺跡からは、穀物をひいたりつぶしたりするための石臼が出土している。  やがて石臼はシルクロードを通って日本にも伝わった。シルクロードの終着点、奈良東大寺の転害門(てがいもん)の「転害」には、かつて石臼のことを指す「碾磑」という字が使われていたことが、「南都七大寺巡禮記」などに記されている。食物をひくほか、朱などの塗料作りや戦国時代には火薬製造にも使われた。

[ひいたお茶は格別]

  私が興味を持つようになったのは、五年ほど前のある日、石臼を使って作った豆腐を食べたのがきっかけだった。大豆本来の味を久しぶりに味わった気になった。仲間と茶臼を造り、自宅で二人分ほどのお茶の葉をひいてみたら二時間ぐらいかかった。しかし、いれたお茶の味は格別だった。以来、石臼を見たり買ったり、同好の士と海外に出かけ現地の石臼を観察したり、といった活動を続けてきた。仲間も輸入商社の社長やドキュメンタリー専門の映画監督など幅広い。昨年は「宇治茶臼研究会」を立ち上げた。宇治市では現在も石臼が盛んに使われている。そこで、お茶の葉をひいて抹茶にするとき一番おいしくなるのは、粒子がどんな大きさと形なのか、そのためにはどんな石臼を使えばいいのか、といったことを研究するのである。  

 一度仲間と共に「石臼の自動豆腐製造機」を作ってみたこともあった。自動モーターを直径約40センチの石臼に付けて回転させ、大豆をひく。回転の速度は一分間に数回から40回転まで九段階設定。豆によってどれが一番おいしい豆腐ができるか実験した。ベストは一分間に20回転だった。設計から始め、費用はしめて200万円。知人たちからは物好きが過きると言われたが、ときりの豆腐ができたのは言うまでもない。今回のシンポジウム開催は、昨年夏、三輪先生や仲間たちと石臼研究でソウルを訪れたのがきっかけだった。もともと、日本書紀には推古天皇の18年(610年)春に高麗王が僧二人を献上し、曇徴という名の僧が碾磑(てんがい)を作った、という記述がある。

豆腐の起源関係?

 しかし、韓国でも機械化が進み、石臼は家庭の台所から消えつつあった。骨とう品街に行ってみると、ある一ブロックを何千という石臼が埋め尽くしていた。韓国ではめん類などの粉食が頻繁に食卓に上がる。しかし今日のソウルでは、もう石臼は骨董品の対象なのだった。  七十代半の尹先生と我々が初めて会った時,とんとん拍子に共同シンポを開こうという話になったのは、今交流しておかなければ手遅れになる,という危機意識が日韓双方にあったからだと思う。  シンポでは、韓国料理と石臼の関係、韓国の各寺に残っている石臼の特徴、太宰府にある有名な「観世音寺碾磑」の研究などを互いに発表した。興味深かったのは中国から飛び入りで参加したエンジニアの王勇さんの研究だった。後漢代の漢墓には,石刻図で豆腐製造のプロセスを描いたものがあるという。突き詰めれば,健康食ブームの代表選手である豆腐の誕生に,石臼がどのように貢献したかが明らかになるだろう。  今年も石臼シンポを開く予定だ。石臼という道具を通して日本,韓国,中国の三カ国の関係に新しい視点が開けると思っている。(えのもと・ときかず=榎本薬品社長)

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