リンク:私がUSAへ航空便で送った紙風船爆弾アメリカでの反応


ネバダ沙漠のブーミングサンド

 私がネバダ沙漢のブーミングサンドを訪ねたのは、1992年3月だった。Criswell1氏の論文を読んで彼に連絡し,現地を訪ねた。原住民が怖れて近づかなかったといわれる神秘の砂山を期待して,はるばる訪ねたサンドマウンテンだったが,そこには異様な景色が展開していた。日本製デューンバギーに乗った米国の若者たちが群がっていて,誰ひとりとしてブーミングサンドの謎を語れる人物はいなかった。もちろんブーミングの気配もない。  案内してくれた現地の 日系米国人とこんな冗談を交した。「これは黙っていられない。日本から日本の鳴き砂(福島県照島の砂)で砂時計を時限装置にした爆弾を紙風船に積んで、米本土攻撃を実現した故事に因んでペ一パーバルーン爆弾(ぺ一パーは論文の意)を送りましょうか」。

 この冗談はすぐ現地の人たちに通じて「やりなさい。砂を荒らすのはけしからん。しかし、その冗談は日本では通じないでしょうね」。案の定,この話をサンフランシスコから朝日新聞社にファックスしたが完全にボツになった。私はそれを実行したが、まもなくタイム社や現地のBLMなどから返事が来た。しかしその頃突然現れた風船おじさんのマスコミ報道にまぎれてしまった。

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