水中鳴き砂(蛙砂)
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飯豊町遅谷で蘇った太古の唄

 謎の一直線の空白を埋めるもう一つの発見は、 意外なことに海岸線ではなく、奥深い山の中だった。
 新潟・福島・山形三県にまたがり、三方から望める霊峰 飯豊山(いいでさん)。 ここは、宮城県の十八鳴浜と、日本海側の角海浜を結ぶ中間地点だ。

 山形県西置賜郡飯豊町遅谷(米沢市西方、約40キロ)で、たぐい稀なる白砂が発見されていることを、 珪砂開発に携わっていた、知人の 故嶋岡舜一氏(埼玉県在住)から聞き、 その調査を担当した、地質調査所の井上秀雄氏の調査報告書と砂のサンプルを入手した。
 まさにたぐい稀なる白砂、その無色透明の石英粒は間違いなく、鳴き砂の特性を備えていた。 幸いなことに、現地は石臼の研究に関連して知人が多い。 とりあえず、米沢市在住の渡部次郎氏(当時70歳)に頼んで、遅谷の砂を採取してもらい、 実験室で洗浄した。 粘土を水流で洗い出した後、砂の部分を5リットルのポリエチレン壜に入れ、水を加えて洗浄機にかけた。
 外見はきれいな石英砂に見えても、一時間もすれば、水は粘土で白濁してくる。 砂粒の表面の微小な凹みに付着している粘土は容易には洗い出されない。 水をかえては洗浄し、わずかな白濁だけになるまでには延べ300時間を要した。

さて、こうして完全に洗浄した遅谷の白砂を顕微鏡で観察する。 なんとそれは、クリスタルガラスを想わせる美しさで、一点の曇りもない。 さすが太古の白砂。
 ミュージカル・サンドの特徴をもっているかどうかを確かめるため木綿の布袋に砂を入れ、 外から軽くつついてみた。 ボッ、ボッボと実に軽快な、見事な音だ。

「やった。太古の白砂が歌ったぞ」
アルキメデスが裸で風呂からとび出したときのように、私は実験室をとび出して、学生たちを集めた。
「人跡未踏、人類出現以前の地層から発見された白砂が、いま、人類誕生時代の歌を歌っているんだ」
 地質調査結果によると、この砂層は新第三紀層・鮮新世の地層(鮮新統高峰夾炭層) の比較的上部に発達している。 その頃の日本海はまだ湖のような姿だった。 この砂はその湖岸に堆積し、激しい北風にさらされながら、波と風のカによって、 この美しい形の砂粒に造形されたのであろうか。

 晴れた日、乾いた砂の上を歩行した動物たちは、サンドミュージック・コンサートを楽しんだに違いない。 教室でも、100人をこえる学生たちのまえで、この「太古の歌」を実演した。 その日のことを、ある学生はレポートにこう書いていた。

「この砂の上で怪獣たちがサンドミュージックを楽しんだのかも知れないと、先生は冗談をいった。 みんな笑ったが、私はほんとうかも知れないと思われて、笑えなかった。 その音はいかにも不思議な、地球の音だった。そして、そんなロマンを追う、先生がうらやましい」
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 この太古の白砂が眠る遅谷を、私はこの目で確かめたくなった。 1981年11月3日朝米沢駅に到着し、タクシーを拾った。飯豊行きのバスは一日に二本しか出ていない。

「飯豊町まで」
というと、
「飯豊だべか?こ〜ら、大変だあ!」
 車は中郡、玉庭、中程、高野沢、須郷、十四郷荘、数馬を経て遅谷へ向かった。 このコースが最短コースだが、途中で工事中の箇所があり、今日は通行止めだという。
「なんとかなるベ」
と、標識を無視して進んだが、菅沼峠のあたりに来ると、たった今、 ブルドーザーが活動を開始したばかりで、崖の上から土砂が道路いっぱいに拡がっていた。
「さあ、どうすっぺ」
ここから引き返すとなると、優に一時間以上も遠回りしなければならない。 運転手は車を降りて、行く手を塞ぐ土砂をしばらく見つめていたが、 やがて崖の上のブルドーザーに向かって大声をはりあげ、手真似した。
「こうやって俺が手で土砂をよけて通るから、ちょっとの間、まってくれんか?」
という合図だ。
「勝手にしろ」
という合図がブルから返ってくると、運転手は、手で大きな土塊をよけはじめた。 私も素手の道づくりを手伝って、やっとのことで通過できた。 もう一分間遅かったら、私はこの日の日程を大幅に変える必要があったに違いない。 杓子定規ではない工事による交通規制と運転手の配慮が、なんともうれしく、 思いがけぬ旅の楽しさを味わった。

 あらかじめ、町役場にこの日の訪問の趣旨が説明してあったので、遅谷の有力者、 伊藤良平氏宅に話が通じており、町の婦人会長を務めた奥さんが、現地を案内してくださった。 10年ほど前、日本珪砂工業が遅谷珪砂の開発に着手したが、その後、川鉄鉱業に鉱山権が転売された。 しかし、地上権につき契約書の上で問題があり、目下裁判中。 開発は中断し、現地には川鉄鉱業の留守事務所が古い民家に置かれているのみ。 現地にはあちこちに試掘の跡が見られた。 奥さんの話によると、

「うちの田んぼを掘ったとき、まっ白い砂が出ました。それはそれはきれいでした」
鉱床は越戸沢川床に露出しているので、この小川に洗い出された砂粒は格別美しい。 顕微鏡で見れば 翡翠(ひすい) あり、瑪瑙(めのう) あり、 蛋白石あり、その美しさに私は、御伽の国の砂(おとぎのくにのすな)のようだと思った。

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 500万年の歳月とは、地質学者は気が遠くなるような年代の話をするから、素人には実感がわかないが、 まず地質年代表を眺めてみるのがよい(私のテープ年表のアイデアはこの時生まれた)。
 鮮新世は500-200万年前で、遅谷の白砂はその頃、飯豊山一帯の花こう岩類が風化して流れ出し、 ここに堆積したものらしい。 井上秀雄氏は次のように報告している。

「珪砂鉱床は、緑色凝灰岩(洗尾累層)の上位にある第三系中の高峰夾炭層中に発達した層状鉱床で、 上部鉱床と下部鉱床からなっている。
鉱床は向斜構造に支配されて胚胎し、その東側と西側に帯状に発達し、延長13キロの間に断続して認められる。 主要鉱床は3キロの範囲で厚さ100メートル前後を有し、良質部である上部鉱床は20-50メートルである。 白い上部鉱床の下位には、淡緑ないし灰緑色で長石の多い下部鉱床が常に発達しているが、下部鉱床が発達しているところに、 上部鉱床は必ずしも伴っていない。」
日本列島が上図のような姿だったころ、このあたりには広大な浜辺があったのであろうか。 現在の砂の層は、砂60-80%、粘土20-40%から成り、ポロポロだから、水に入れると簡単に崩れ、 粘土は洗い出すことができる。報告書によると、
「珪砂は主として丸い石英粒からなり、 カリ長石、斜長石、クリストバライト、重鉱物類および岩石破片からなっている。 粘土鉱物はメタハロイサイト、ハロイサイトが主で、少量のモンモリロン石から成っている」
とある。石英砂の粒子が著しく丸くなっており、その生成に要した年月は想像を絶する。