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中国紀行 : 巴丹吉林(バダインジャラン)沙漠 で無数の唸る砂丘を発見

ここは未解放区ゆえ立入禁止区域 ...

ヤドカリ 皆さんはこの砂山が 夜な夜な唸る なんて、信じられますか?
三輪 そうですね、誰でも最初は半信半疑でした。でもこれは事実です。
今皆さんのお耳にいれましょう、これが巴丹吉林沙漠 の砂の音です。
Booming sound of Badin-jaram ( recorded Aug,1995 )
WAVE音声 AU音声
WAVとAU どちらか皆さんののブラウザで聞けるファイルを選んで下さい。
現在のところ、鳴き砂の低周波数を忠実に再現できる手軽な再生用のソフトがないため、 決して満足な音ではありません。
コンピュータによってはトンデモナイ音になることもあります。 実際は天をも揺るがすようなスゴイ音です。 テレビも対応できないので、放送ではほとんど音が聞こえませんでした。

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 中国、アメリカなど6回におよぶ世界鳴き砂調査の旅は、いつも空ぶりの帰国でした。
 山のあなたの空遠く、幸い住むと人のいう
  ああわれ人ととめゆきて、涙さしぐみ帰りきぬ
 中国は鳴き砂の宝庫です。 しかし本物に出会うには長年の調査が必要でした。私の鳴き砂を求めての旅を、 チルチルミチルの青い鳥の旅のようだと言った人もいます。

 1995年の第7回世界鳴き砂調査(巴丹吉林沙漠)は、 予想以上にすばらしい成果を得ることができました。
それはもう、皆さんに話すのが惜しいくらいに… !

 1995年7月29日、青い鳥の鳥籠を擬したミニチュアをリックにつけて、 関西国際空港で京都府網野町から来た「鳴き砂を守る会」の若者4名と合流したときも、 現地の情況はほとんど不明のままでした。
「ブーミングサンドがウソだったらどうしよう…。」
胸中は不安でしたが、同志社卒業生2名も同行してくれて、 飛行機は日本から旅立ちました。
 上海経由、蘭州(ランシュウ)で 沙漠研究所の研究者である陳さんが私たちに 同行して下さいました。
 まず雅布頼鎮まで行って、ここで私たちはモンゴル流の歓迎を受けました。 明日からはテント生活です。
ここで先行して準備を整えていた、屈建軍氏やモンゴル語通訳兼沙漠ガイド数人と合流しました。

 翌朝暗いうちに起床して出発。沙漠専用車で現地近くまで移動しました。
ここからは平坦な沙漠の気配が急に変わって、険しい沙漠の山に入るラクダ道になります。

唸る砂山への駱駝道は、沙漠専用車でも転落の危険があります。
蟻地獄道 と呼ぶデコボコを乗り越えて行けるのはラクダです。
必死で鞍につかまって、長い時間をかけて進みました。

ごくろうさま ! かわいい駱駝さん
 そして突然広けた景色は、ブーミングサンド特有の鋭い稜線を持つ、 美しい砂山群でした。脇には青い水を湛えた湖、まさにオアシスの絶景。 目の前のピラミッド状の剃刀で切り取ったような山が、唸る山という話です。
 高さ50メートル上がって14人が同時に降りると、ブーンとすごい音が出ました。 全長約100メートルの斜面の麓まで、途中で人が止まっても砂はしばらく流れて余韻が 続きました。その音は飛行機(ジェット機ではなくプロペラ機)の音に似て、天空を 震わす音でした( 60-70dB)。
この実験を「鳴沙活動」といいます。中華人民共和国ですから、もちろん赤旗を掲げて!。
"この音こそ、十数年探し続けた青い鳥だ ! "
私だけではなく、初めての参加者も全員大感激。まずは一安心でした。

ブーミングを確かめた3地点
第1地点: 東経102.29.27 , 北緯39.36.20 海抜 1340m
This side is windward slope
第2地点: 東経102.28.28 , 北緯39.36.09 海抜 1315m
This side is leeward slope
第3地点: 東経102.30.43 , 北緯39.36.40 海抜 1385m

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 だがもうひとつ課題が残っていました。 砂が風で斜面を滑り落ちて自然に音がでる自鳴 (じめい) が聞けるかどうか?

 その夜、天には天の川が滝のように流れ、星は今にもこぼれ落ちそうでした。 枯れ木を燃やした焚火を囲んでの酒盛りで、モンゴル娘の唄を聞いていたときでした。

あ、自鳴だ !!
と米沢君の声。もう一つの山からでした。それも一回ならず何度も聞きました。
 数年来の念願が叶った喜びと安堵にひたりながら、これは夢かと思いつつ、 いつか桃源郷の夢路についていました。

 従来の文献では自鳴するのは極めてまれなことであり、それを体験するのは 至難と文献には書かれていました。が、ここではそれはありふれた事実で、地元の モンゴル人は、
砂が音を出すのは当たり前 と思っていた。」
と話してくれました。その時私は同じような話を、二十年前に琴引浜で聞いたのを思い出しました。
砂が鳴くのは当たり前だ

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 ここは中国政府の未解放区であり、また簡単には一般の人が入れないへき地であったために、 自然の自浄作用が完全に機能することが可能になったのです。
 九州全土に匹敵する区域が、わずか30所帯の遊牧民家族で今日まで草と水とラクダと共存してきた貴重な自然…。
世界的にも稀なこの沙漠全体を環境示範区(本物の環境見本)として保存することを提案し、 中国科学院と調査団の連名で 1996年8月4日〜14日 に中国北京で開催予定の、 第30回国際地質学会 (IGC) で報告することになっています。
 またわが国では本物が容易に探せない、鳴き砂の回復目標になる意味も大きく、 この見本に習ってわが国でも、 ブーミングサンドを作ろうよ という計画もあります。

 なお1995年は予備調査ですが、いずれ更に奥地に入って全貌を詳しく調査する予定があります。 山の彼方のなお遠く、青い鳥が住むという…、その場所は スムジリン
 そこにはラマ教のお寺もあるとか。1995年は青い鳥籠を空のまま持ち帰りました。 今年の夏、8月初旬に再びこの沙漠を訪れる計画が進んでいます。 今年こそは完全な青い鳥の鳥篭(録音機材)をもって出かける予定です。
なおこの詳細報告は、同志社大学理工学研究報告 第36巻 第4号216-224(1996)にあります。 また紀行文が同志社時報第100号にもでています。

第7回(1995年)調査に参加した人々
団長:三輪茂雄(同志社大学名誉教授)
三浦 到、松尾省二、松尾信吾、松尾信一郎(網野町琴引浜の鳴き砂を守る会)
安松貞夫(京都・東山学園高校教諭)
尾崎都司正(オージス総研)
米沢晋彦 (北神戸中学教諭)
王 勇(通訳: 蘭州沙漠研究所日本駐在員)

1996年8月1日関空発で第2次巴丹吉林沙漠調査団も実施されました。