一方、粉屋の職人は誇りをもち、その修行はきびしかったという記録もある。シューベルトの歌曲集「美しい水車小屋の娘」は修業にでる若者に、未知の世界へのあこがれと希望をこめて、たからかにさすらいの喜びをうたう門出の歌である。 さすらいは粉屋のよろこび
一度もさすらいを志さぬ粉屋は
だめな粉屋にちがいない
あんなに重い石臼でさえ
陽気なワルツを踊り
もっと速く廻ろうとする
(歌曲集「美しき水車小屋の娘」西野茂雄解説、東芝EMI株式会社)
近世には石臼の没収というような事件はなかったが、粉屋の経済的地位は日本では想像もつかないものだった。資本の集中、機械化した大規模工場による集中大量生産、国際化などの伝統が、工業文明への道を拓く基礎になった。産業革命のころの西洋の風車および水車を動力とする製粉工場の絵に、現代の工場のパターンを見ることができる。いまでも日本で水車小屋というと、山水画に出てくるような風景を思うのとは大きな文化の相違である。