粉屋の娘とは

 19世紀末のイギリス・ビクトリア朝の代表的詩人テニスンの詩に

 "The Miller's Daughter(粉屋の娘)というのがある。その詩は次の句からはじまっている。

I see the wealthy miller yet.

 His double chin, his portly size,

   And who what knew him could forget

The busy wrikles round his eyes?

  The slow wise smile that,round about,

    His dusty forehead drily curl'd

      Seem'd haif-within and half-without,

And full of dealings with the world?

(意訳:

金持ちの粉屋を見た

 でっぷり肥って顎は二段

目はせわしないが、ゆったり微笑み

 粉まみれのひたいは

  世界を相手の商いで一杯

 

 この話は日本人にはピンと来ない。「たかが粉屋のオヤジ、それも百年前、なにが世界を相手だ」

この辺が日本人と西洋人との認識の相違というか、カルチャーショックものである。

 現在日本に残っている伝統的石臼は基本的に今から2000年も前に世界に普及したままの形態なのだ。

 日本人は伝統の石臼をイメージに描き、戦争時代のわびしい食生活を想い、しかもそれは明治大正の一時期捨て去りかけたそんな石臼を復活して、そばや麦や屑米を挽いた石臼そば屋が繁盛している。

 

 もう一つテニスンの代表作に物語り詩『イノック・アーデン』(入江直祐訳、岩波文庫赤226-1)がある。1864年の作品で、ある港町を背景に、三人の幼な友達の数奇な運命と友情を恋を描いている。物語は牧歌的な調子ではじまる。

 「くねる海辺の嶮岸(きりぎし)を

  切り裂いている 小さな入江

   入江に見えるは

    泡沫と 黄色い海

     彼方には 赤屋根のむれが

      せまい波止場を とりかこみ

       家並みの その向こうには

         寂れくずれた 聖堂がひとつ

           一筋つづく 町並をのぼれば

             そこは高い 粉屋の櫓(やぐら)」

  そのまま油絵になりそうな、のどかな風景だ。そんな港町の海辺で、港きっての器量 よしだが、まだ子娘のアニイと粉屋のひとり息子のフィリップと、荒っぽい船頭の伜(せがれ)イノックの三人の幼な友達が、ままごと遊びしている。このあたりから悲劇の伏線が出てくる。

 「これ ぼくんちの家

   こちらはぼくの 可愛いお嫁さん

     君のものじゃないよ

       代っておくれよ かわりばんこだよ」

この最後の「かわりばんこ」の原文はMine too, said Philip; turn and turn about.だ。これは円形の石臼がぐるぐる回って順番が来ることから日本語のカワリバンコに相当する。テニスンの時代にはイギリスにもあちこちに粉屋の櫓、つまり風車を動力とする小麦製粉場(ミル)があった。そこでは直系1から2メートルもある巨大な石臼が回っていた。水車が石臼を回す水車小屋もあった。いずれも小屋の内部メカニズムは精巧な時計の内部を思わせるものであって、日本でいう水墨画風の水車小屋とは似てもつかぬ 機械化された工場であった。

 だからイノックアーデン に出てくるフイリップはそんな立派な工場主の息子、つまり港町きってのお金持ちのお坊っちゃんと理解しなければこの物語り詩のムードは出てこない。

 さて幼かった三人の子供たちは成人してイノックはアニイと結婚し、二人の子宝にも恵まれたが、定めなき人の世、思いがけぬ 不幸が起って イノックは遠い国へ出稼ぎに出て生死不明のまま十年の歳月が流れた。「夫は死んだのだ。天国のいと高き処にあってホザナを口に唱えつつ心たのしく暮らしているのだ」とアニイは思うようになった。子供たちもフイリップおじさんとなついている。

 「私たちが結婚しても何の咎めもありますまい」アニイとフイリップは結婚した。

 そこへ日に焼け腰が曲がり衰え果てたイノックが帰ってきて幸せそうに暮らす妻子を見て悩む。

  turn and turn about

は人生のめぐりあわせの不思議にも通ずるという話。

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