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石臼の発達過程の図解
臼の目などの工夫(ストークらの説)(Storke,J.Teague,W.D.:"History of Milling for Man's Bread")
ロータリーカーンの出現 :都市国家が成立し、ますます増大する人口に対応する食糧の生産に応ずるためには、臼についても人類は次の段階へ進むことを必要とした。
ロータリーカーン(rotary quern)の出現はそれにこたえるものであった。前後運動から定常回転運動へ移行し、そのことによって土石をいくらでも大きくでき、自重による圧力をかけられる。また供給と排出も定常化するという、技術的な著しい進歩が次につづいた。
どのような発明も長い準備段階を一段ずつ上って、次第に完整形態へ到達するものであって、忽然として天才的発明が出現するものではない。二つの円い石を重ねてまわす粉挽き臼は、出来上ったものを見ればあたりまえのものだが、ここまで到達するにーは、実に長い道のりがあった。しかし、この偉大な発明が、いつどこで行たわれたかは全くわかっていない。その発達の過程も謎につつまれている。ギリシャ人の発明であるという説があるが、これはギリシャにすべての起源を求めたがるヨーロッパ人の発想だと批評する人もある。それはともかくとして、サドルカーンからロータリーカーンヘの発達過程を図解入りで非常に具体的にのべている。
彼によるとデロスの島からの遺物にそれが見られ、紀元前500年前後としている。右上はギリシャのデリアンミルか?
紀元前500年頃,ギリシャのデロス島で行われたといわれている工夫
デリアンミル(ギリシャ)
なお、ストークらは、このギリシャの発明とは独立に、紀元前1270-750年にあった古代の王国ウラルトゥ(Urartu)『世界の歴史ーオリェント・参照)に、整った形の口ータリーカーンがあったことをのべている。トルコ東部のヴァン(Van)湖のほとりで発見された遺物である。「ヴァン湖型のものは、ただ一例のみが従来知られている。ウラルトゥはアッシリアの王シャルマネーザー3世によって征服されたのであるから、紀元前8世紀以後ではありえない。目たてしていない点以外は、後に手挽き回転臼とよばれる上臼のみごとな一例である。台の上に上臼を支えるためのリソズ(rynd)と呼ばれる器具のあとが上臼の下面にみられ、またその上臼は下臼を貫通する孔を通る軸の上端にとりつけられたことを示している。これは粉砕物の細かさを調節するための簡単た方法であり、ずっとあとの時代に出てくるものの先どりである。ホッパーの側壁にある小さなハンドルの孔は、手でまわしたものであることを示している。」