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 石臼頌 (いしうすのしよう)

  宝永3年(1706)に出た五老井許六編『風俗文選』に、芭蕉の『石臼の頌』が出ている。石臼をたたえた名文である。これが芭蕉のものであるかどうかは問題があり、藤井乙男編『校註-風俗文選通釈』の序『芭蕉文集』に論考がある。

  「市中にあって、俗塵によごれぬものは、げにそのはじめをよくするよりも、その終りをとぐることはかたし。南山竹林の猛士も、猶出てつかへ、寛平華山の上皇(宇多法皇)も、終りたしかならず。たまたまこれを見るに、ただ石臼のひとつのみ。

 聖一国師は、これをもて肉身をやしなひ、法身をしる。民家にはまた、麦刈そむるころよりも、籾こきおとす冬にいたるまで、片時も余所にする事なし。其高き事を論ずれば、役優婆塞(えんうばそく)の庵の中にかくれて、彼たぐひを道引きりの上に立べし。上と下とふたったるは、ちからたらざる者の為にもっぱらなればなり。不断土間にあって、莚より外を見ぬは、謙に居る事のととのへるにあらずや。かりにも黄姉の手にとられざることの、ありがたき事を、ふかくさぐりしるべし。

 目なだらかなる時は、かますを擔ふ老翁(臼の目きりのこと)の出来て、こつこつとする音すみて後は、季札が劔を、塚にかくることをはづべし。名をぬすむ盗人はあれど、石臼をぬすむ盗人はなし。また人の心をみださざるのいたりならずや。  

 月さしのぼる夕顔の陰に、ひとりはをどろの髪をまくね、ひとりは仏のまねをするあたまなりにて、くるしき事をおぼえず、挽まはすちからに、其飢をたすくるは、文王の始につかへたまへるに事たがはず。

 ややいま様の、むつかしき歌のふしにもかまはず、声も唱歌も古代のままにして、枝もさかゆる葉もしげると、しはぶきがちに、わななかれたるぞをかしきや。」

 以上全文を引用したが、わかりにくい点は前記『通釈』に解説がある。」「石臼頌」とは石臼をたたえる文章である。石臼の驕(おご)らぬ姿をたたえ、賢者でさえも俗塵はのがれられぬのに、石臼だけが俗塵にしまず、古も今も同じ姿で、始あり末遂げ、人の飢をたすけ、身を養い、末葉もしげるさかえの功徳があり、愛すべきものだといっている。

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