考古発掘物(石臼片)が碾磑仮説を現実にした
2000年10月5日夜「東大寺食堂遺跡で石臼らしいものが発見されました。石臼かどうか確認してもらいたいのですが、近鉄奈良駅の行基菩薩像まえで待ちます」。私は耳を疑った。それも食堂遺跡という。「明日うかがいます」と返事。
発掘現場の泥だらけの車が迎えにきた。昨年二月堂から歩いた東大寺大仏殿北側だった。住宅建設にともなう発掘である。担当者は橿原考古学研究所の今尾文昭さん。
井戸の積石になった石臼片が発見されたそのズーム
長さ約30cmだが目は8分画で非常に大きい石臼であろう。付近から出土している食器類から少なくとも奈良時代前期と推定されている。となると
「尋尊僧正七大寺巡礼記に曰う。天平の朝、瑪瑙輾磑、東大寺食堂の厨屋にあり。これは高麗国より貢いだ所である。その西門を輾磑と云う。輾磑は今俗に云う石臼が是である。」という東大寺古文書の記述にある石臼である可能性が高い。余りにもよくできた話であるが、現物を前にすれば否定しがたい。