リンク:漢代前後に対応するローマ時代前後のヨーロッパ


ロ−マ時代前後に対応する東洋文明(漢代の中国).

 イギリスと中国とでは発掘される遺物に形態上はかなりの差がある。古代中国のロータリーカーンの形態は軸受け用リンズではなく、軸受けを設けるために、供給口を上石の中心をさけた半月形のホッパーを備えている。

 前漢代(紀元前2077〜紀元9)の墓の副葬品として多くの出土例がある陶製の模型(明器)のほか、紀元前113年とされている『満城漢墓』(発掘報告書(中国社会科学院考古学研究所編1980)からは直径54センチメートル全高18センチメートルというかなり大きい黒雲母花崗岩製の石臼(石磨盤)とその粉受皿(銅製)がセットで発見されている。目は明器と同じく配列した穴であり、まだ目は使われていないが、臼の形態が洗練され、美的要素も加味されているのが注目される。少し後の後漢の洛陽の漢墓(中国科学院考古学研究所編『考古学報』(1956年4期))でも同様の石臼が出土している。しかも畜力ないし水力利用の工場が推定されている。前漢代は武帝の命で西域に行き東西交流のきっかけをつくった張騫の時代である。このことは中国の食物の歴史を文献から徹底的に追及した篠田統の有名な結論に一致する。「コムギは製粉および粉食の技術とともに紀元前1-2世紀のころ中国に導入された、いわゆる「張騫」物の一つであると。」(『中国食物史の研究』八坂書房、1978)。  ローマ時代のイギリスの石臼は、正確に八分画の標準パターンである。その後に中国でも八分画が出現するが、いつからかは不明である。日本に現在残っている八分画や六分画も、この伝統を正確にひき継いでいるわけだが、完成された技術の正確な伝播の経過は東西文化交流の謎を秘めたままである。  石臼は外見の粗末さからは想像もつかないほどの、車やロクロとは基本的に違う精密機械だった。半端な回転運動では、よい粉がつくれない。石の粉が入れば食べることもできない。 重い上石の重量を確実に軸受で支え、正確に上下石の接触面の平面を保ちながら、スムーズに回転させる必要がある。上石の回転は、中心軸に関して完全な円運動をしているのでもなく、軸心が不完全ゆえに摺動運動も行う。これは、粉をつくるうえで重要な作用を果している。  このような、現代の機械では不可能な、特異な回転運動の制御に成功したことは、技術史的に見れば、人類がはじめて本格的な機械の、そして、その後工場というものの考え方の入口に立ったことを意味した重大な発明であった。しかし東洋は小麦に依存しなくてもよい事情から、小麦製粉がそれ以上発達せず、機械文明への主導的役割は西洋に任せることになった。  

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