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やっぱり理科は面白い
元生駒市立生駒小学校校長 竹中良行著『やっぱり理科は面白い』(新踏社刊,1999)より
思い巡らす楽しみ
自然に触れ,様々な事物や現象を目にし,耳にすると,「あれはいったいどういうことなのだろう」とか,「このようになるのは,こういうわけなのではないか」といった思いが生まれてくる。 こうした思いは,ほかの多くの経験と結びつき,一層広がり深まっていく。そして,理科の時間だけでなく多くの教科で学んだこと,友達や周りの大人たちに学んだことなどをエネルギーにして果てしない夢のようにふくらんでいく。
時には,論理の飛躍があり,誤った方向に進んでいることもある。1っ1つの段階には誤りがないと思われるのに,数段階を経たあとに得られたものには矛盾があり,どう考えてもおかしいと思われる場合もある。しかし,自然の事象について思い巡らし,夢を見ることは楽しいことである。
1. 物質の三態
「物質には固体・液体・気体の3つの状態がある。そして,それぞれの性質は,下の表のようにまとめることができる」
固体 | 液体 | 気体 | |
形状 | 変化しない | 変化する | 変化する |
体積 | 変化しない | 変化しない | 変化する |
こんなことを知ったのは,小学校の3年生のときのことである。これに間違いはない。小学校の6年間を4っの学校で学んだ私は, 学校の様子や周辺の景色などとかかわって,それをどこで学んだかが明らかになる。物質の三態について知ったのは,3年生と4年生の2年間を過ごした山の中の小さな学校でのことである。それは1年生から6年生までの全児童が1つの教室で学ぶ学校であった。
「物質の三態」は,理科の時間に勉強したのではない。そのころの理科の教材配列表にないのである。おそらくは,上級生に対する先生の説明を,他の教科の自習をしながら,耳にしたのであろう。そして,そのことが強く印象に残ったのに違いない。
さて,前ぺ一ジの表のようにまとめられた物質の三態の考え方は,私にとって新鮮なものであった。なるほど,この表を見ると一目瞭然である。それ以外のものはなく,すべてが尽きている。けれども,ほんとうにそれだけなのだろうか,そんなことを考えた。
戦争末期のこのころには,非常な食料不足であった。どこの家でも白い米飯などはぜいたく品である。まして,農業をしていないわが家では,小麦粉でだんごを作って昼食できる日は幸せな日であった。小麦粉で団子を作る手伝いをしながら,これは一体なんだろうか,物質の三態のどれに当たるのだろうかと考えたに違いない。
小麦粉の体積は,升で測ることができる。これは,形が変化しても体積は変化しないということであり,液体と同じである。しかし,これはどうしても液体とは思えない。手に付いても濡れもしないし,細かく見れば一粒一粒の固体の集合である。あくまでも,それは固体である。そこからが非常に飛躍した考えになるのであるが,固体・液体・気体の3つの状態のほかに,もう一つ,すなわち四つ目の状態があるのではないかという考えである。細かく見れば(微視的にということである),それはどう考えても固体と言わざるを得ない。しかし,全体像をとらえるような見方をするならば,容器の形にそって変化することから液体の特性を持っているといえる。すなわち,三態以外に固体と液体の中間的な存在があるのではないか。これこそが四っ目の状態「粉体」なのである。一度,浮かんだ「粉体」という考え方は少々のことでは消えずに,私の頭を占拠し続けていた。そして,これが消えていったのは,分子や原子のふるまいによって,物質の三態を説明する物理や化学を学んでからのことであった。
平成8年のある日,私は図書館で「粉の秘密・砂の謎」(平凡社,1981)という本を目にした。三輪茂雄先生のこの書の表紙には,
「砂,そして粉を追っていくと
現代の先端技術にまでつながる
壮大な人類の生活文化史が現われる。
粉=粉体という概念は,
現代技術と,失われつつある伝統的な生活文化とを
統一的に理解するための鍵なのである」
と書かれている。
「粉体」というこの2字は,私を50数年前にタイムスリップさせた。私はこの書を借りて読みふけった。そして,粉と名のっくすべてのものを対象にされた研究, 生活に密着するそれらについて科学的な目を注がれる先生の姿に大きな感動を覚えた。版元に頼んで取り寄せたこの書は、今も私の本棚にある。
私が「固体,液体,気体のほかに粉体という考え方があってもよいのではないか」という疑問を持ってから半世紀を超えた。今,これに対する答えをいただいたのである。物質の三態は,あくまでも三態であり,それ以外の状態はない。しかし,粉は粉であるが故にもつ特性がある。そして,粉体工学という独自のジャンルの対象となっているのである。「粉体」を対象とした科学を一生の仕事としてこられた先生,そして,「粉」や「砂」を起点に幅広い探究を続けてこられた先生の著書に触れ,「粉体」という用語を発見できたことは私にとって大きな喜びであった。ただ幼いころのそんな疑問を解きあかそうとする行動を起こさなかった自分へは苦い思いをもつのである。