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東京動物園協会刋:『インセクタリウム』23巻,N4,96-100(1986)掲載記事に加筆 粉体工学から見たアリジゴク(蟻地獄)同志社大学名誉教授 三輪茂雄 |
まえがき 私は化学工学の一分野に属する粉体工学を専攻しる。それがどうしてアリジゴクと関係があるのか。どこに昆虫学者との接点があるのか,まずその辺から,待合室での会話を思い出しながら以下を書いた。 |
粉体工学とは? この雑誌は,昆虫に興味をおもちの方々が大部分の読者でしょうから,多分「粉体工学」というのは初耳だろうと思います。これは,最近になってようやくまとまった本も出るようになった新しい学問分野です。化学というのは,物質を無機・有機それぞれの化合物に分類して考えてゆきますから,学問も化合物によって分野が分かれています。ところが粉体工学は,物質には無関係に,それが粉の状態にあるものなら何でも対象にします。粉という共通性の上に立っている学問です。粗い粉も細かい粉もありますが,とにかく物質がたくさんの粒子の集合体であれば,すべて粉として扱います。そう考えますと,小麦粉も,石の粉も,そして砂利のような大きな粒子の集まりも,共通の考え方で扱うことができるようになります。だから,アリジゴクの巣を見ると,私の目には,彼らは粉の性質をうまく利用して生活している天才昆虫に見えるのです。 |
図1 巨大な原料倉庫の中は,まさにアリジゴク。そして私は一匹のアリにすぎなかった. |
アリジゴクとの出合い 私は,子供の頃に縁の下や大木の根っこなどで見かけたアリジゴクの巣を思い出しました。倉庫のコークスは,人の頭ほどの大きな塊から,細かいのは小麦粉よりも細かく,風で吹きとぶような粉まで含まれていますが,この倉庫のように大規模になると,大きた塊も細かい粉も同じようた性質を示します。粉体工学では,粉を構成する粒子の寸法に関係なく"粉(粉体、または粉粒体)"と呼びますが,それは大規模な取扱いを考えるうえでは相対寸法だけが問題になるからです。.現代のハイテクノロジーでは特に超精密加工を:考えますので,粒子は1/1OOOミリをさらに3桁も下まわるナノ微粒子を扱うようになってきました。 テレビで名演技したアリジゴク 私のアリジゴクヘの関心は,こんな強烈な思い出に支えられています。アリジゴクの巣は小さいけれど,小さなアリにとってはやっばり地獄なのですね。同志社大学へ赴任してからのこと。学生諸君にコークス倉庫の事故の話をしますと,ある学生がアリジゴクに興味をもって京都市内をまわりました。そして「京都のアリジゴクはみな同志社マークをつけている」といいます。「京大裏の吉田山も三つ葉のクローバーだ」と得意になっていました。 |
図2. 京都市内のアリジゴクはみな同志社マーク |
九州から来ている学生が郷里でつかまえてきたアリジゴクは毛ムクジャラでした。「あー熊襲だ。京都のは都人らしく美人なのかな」などと楽しみました。馬場金太郎さんという方が研究していると聞き手紙しましたら1冊の本を送っていただきました。日本にはたくさんの種類がいることが確かめられていました(文献1,2}。これはそのどれかにあたるのでしょうが,私はくわしいことは知りません。 アリジゴクは,陣地の底から陣地のまわりを四六時中監視していて,アリを視覚的に発見したのか,それともアリが巣の上縁から粒を落したのでアリジゴクにわかったのか,正確には確認できませんでした。とにかくこの瞬間をテレビはバッチリとらえたので拍手かっさいでした。このときはワイングラスに,赤イソクで染めた石英砂を入れてアリジゴクを飼育していました。アリジゴクの襲撃に遭ったアリが,防衛用に毒(蟻酸でしょうか)をふりまくさまも、赤インクからよくわかりました。 |
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粒ぞろいにする道具 アリジゴクは,大きな土くれや石がゴロゴロしている荒地でも,乾燥していれば,きれいに整地して,粒ぞろいの砂や土のかたまり(団粒)で陣地を構築します。この整地作業の観察は相当の根気がいります。あるとき研究室でその一部始終を見ることができました。何時間かかったのか正確に記憶していませんが,飲まず食わずでセッセと働きつづけるさまは,すばらしく,じっと見とれてしまいました。まどろっこしくて,ちょっと手を貸してやりたくなることもありましたが,余計な、おせっかいはいけないと,じっと我慢しました。アリジゴクはぐるぐる円を描きながら後ずさりして、次第に円の直径を小さくしてゆき,最後に真ん中へんでもぐりこみます。この頃には,不ぞろいだった粒がすっかり,きれいに粒ぞろいになっています。こんな荒れ地も整地作業をして住めるようにする。 |
現代ふるい機械の夢がここにあります。もうひとつすばらしいことがあります。もし鋏の一部が欠けたとしても再生するそうです(文献1〕。再生するふるい網なんて,ハイテクノロジーにとっても,それこそ夢の夢ですね。とにかく彼の作業は精力的で,仕上りも上々,私の学位論文は「ふるい分けに関する研究」ですが,彼の仕事ぶりを見て降参しました。時間のたつのも忘れて見とれていた私は,陣地が完成したとき,思わず拍手していました。 風力分級の原理 本誌1985年5-6月号にアリジゴクについて書かれた2〕,京都教育大学の松良俊明先生から,米国の文献をいただきました(文献3)。それは,アリジゴクが粒ぞろいにするのは,はねあげた粒子が空気中を飛ぶときに,空気の抵抗によって粒が選別されることを理論と実験によって説明した興味深い論文でした。その理論は,粒子を水平にたいして或る角度,たとえば45°斜上方に投げた場合どこまで飛ぶかという計算にもとづいています。空気抵抗の影響で同じ初速度で投げても,大きい粒子は遠くへとぶが,小さい粒矛は近くに落ちる(くわしくいいますと,空気の抵抗は層流域・乱流域でちがいますが,この論文は中間域をとっています。これは工業では風力分級の理論ですが、工業界では実用されていません。参考に引用されている一つの文献の著書のBirdさんは,以前,京都にこられて私の研究室も訪ねられた化学工学の専門家です)。実験により,アリジゴクが投げるときの初速度は秒速1mぐらいだろうということも確かめてありました。アリジゴクは「ふるい分け」と「風力分級」の二つの技術をもっているというわけです。たいへん面白い実験で私も少しやってみたくなりました。
斜面制御機構(Ant-lion's mandibles as tool
for controlling the pit slope) 砂時計
写真2は,私がその頃夢中になっていた大きな砂時計です(24時間計,いわき市勿来海岸の砂を使用)。この上部球の砂にできるくぼみは,鋏の穴そっくりです。(前述の松良先生が私の研究室を訪ねてこられたとき、たまたまこの24時間計の実験中でしたが、先生はこの穴を見ておおいに驚かれ、「エッこれアリジゴク?」と大声を出されたのはさすが専門家と感激したものです。下部球には砂が山のように堆積します。上部球にできる斜面の角度を流出安息角,下部球にできる山の斜面の角度を堆積安息角といい,(水平に対してなす角を測定するとして)一般に流出安息角の方が堆積安息角より小さいものです。"安息角"は英語のangle of reposeの直訳ですが,斜面上の粒子が,粒子同士の静止摩擦によってひとときの安息を得ているという意味で,おもしろい表現ですね。アリジゴクの穴に獲物が入ると,粒子の一部が撹拌されて静止摩擦が動摩擦に変化し,斜面が崩壊するわけです。このときの斜面の角度(崩壊斜面)を表面流動角といい,下図のような装置で測定できます。
粒度偏析のこと 粗い砂と細かい砂の混合物が斜面を流れるときには,粗い砂粒の隙間がふるいの作用をして,細かい砂が流れの底部に沈みます。これを粒度偏析現象(セグリゲーショソ)といいます(文献4)。アリジゴクの巣の中央部にはいつも粗い粒子が落ちこみますから,これをときどきはねあげることを続けていれば,巣の斜面の下層には細かい粒子が集まって,比較的安定した層が形成されます。その表面に比較的粗い砂が堆積して,流れやすい状態ができていると思われます。くわしく調べてみたら面白いでしょう。
ところで,蛹(さなぎ)になるときにつくる繭は,砂や土の丸薬状の固まり(造粒物)をつなぎ合せてあります。直径1cmぐらいの中空の球体ですが,これは力学的強度が十分つよい工夫であるとともに,粒度偏析の問題もからんでいます。もし土砂崩れがあっても,土砂の中深く埋没しないはずです。 アリジゴクは粉体工学の専門家
もうひとつアリジゴクの不思議があります。本誌1985年6月号に,松良先生がうんちの上のような写真を示しておられます。腸の先端がゆきどまりになっていて,排泄物は溜りほうだいの完全便秘です。成虫にたって巣をはい出したとき,はじめて幼虫時代に溜った宿便をワッとやるわけで,それはさぞ爽快なことだろうと思います。しかし,乾燥しきったうんちはとても押し出すわけにはゆかないはずです。そんなもの凄い圧力などかけずに,腸管もろとも分離するのだそうです。これは松良先生の話です。 1.)馬場金太郎著「蟻地獄の生物誌」(昭和28年) 2) 松良俊明;『イソセクタリウム』22[5]120[6]156(1985) 3) Lucas,J.R.:Anim.Behav・・30・651(1982) 4) 三輪茂雄著「粉体工学通論」(日刊工業新聞社)1971 |