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寺内大吉著『念仏の叛乱』(大東出版社,1998)  『石山本願寺戦争-続念仏の叛乱』(大東出版社,1998)     

寺内大吉様

御2著拝読致しました。従来あまり語られなかった石山本願寺と信長の戦いを著書にされましたには資料蒐集に苦心されたことと存じます。単なる歴史書ではなく,物語風でわかりよい本と思います。  私は本願寺門徒で少年時代から,本願寺と信長の戦いについて生々しい話を聞いて育ったものです。私は岐阜県養老郡上石津町出身で,同町の唯願寺門徒です。この地は加賀,越前,美濃ラインの南端にあたり,たびたび石山本願寺に出陣し,最後に長島で全滅させられた記憶がなまなましく,昨日のことのように語られています。  したがって御著の題目に叛乱とあるのにも抵抗を感じます。それはまず大した問題ではありませんが,最近,地元の民俗学会誌に同封のような記事を書きました。私は歴史家ではありません。宗教家でもなく,工学畑の育ちです。粉体工学という珍しい分野ですが,火薬はgun powderであり,火薬を粉末としてとらえています。その目で歴史家が書く鉄砲の記事に火薬がほぼ完全に抜けているのに奇異な感じがあります。そこで長年,防衛庁の爆薬専門家の中原教授とも連携をとって,火薬の製法について研究しております。そして各種の著書に記事を書いております。NHK テレビなどでも見解を発表し同意を得ている事項です。その見地からでは,貴著の火薬の記事は大半の歴史書の域をでていません。ことに気になるのは 続叛乱の79ページの「硝石にかわって砂鉄が常用されるようになった」です。砂鉄はどうやっても爆薬にはなりません。硝酸カリウムが煙硝です。  本願寺が門徒の力が強い富山県の五箇山で石山本願寺が火薬製造を指導し,上杉謙信にその秘密をもらし,信長を鉄砲で討った。おどろいた信長は和睦しその技術を手にいれた。  私は粉を作る技術者として長年火薬,とくに発射用爆薬に並んで,口火用の特殊火薬に注目してきました。このあたりは火縄銃研究者も不勉強です。 私が歴史家でないので広く知られていないだけです。  最近私のホームページで情報を公開し,現地五箇山の火薬研究者も納得していることです。http://www.wao.or.jp/smiwa/           (検索gooで石臼 三輪と入力してもok)  そこにでている縁の下で火薬を製造する技術は,多分縄文時代にはあったはずです。たまたま五箇山が目立っただけです。中国やヨーロッパの風土気候では絶対に存在しない日本独特の製法だったのです。これはなぜか秘密にされてきたようですが,今のサニタリー環境では生成しませんから秘密にする必要もないでしょう。それを知らずにかのゲバゲバ学生が国際過激派に教えて英訳した話はまさに笑い話でした。  石山本願寺と信長を並べて,信長を新勢力とする歴史観が支配している風潮を私は容認できません。本願寺は本願寺流に戦争を終結させ,そのお蔭で仏教が生き残り,日本のキリスト化を防いだ功績は,すごいと本願寺を称賛すべきと思います。それを語ろうともしない現在の本願寺はけしからんとも考えています。法然の記述もありますが,法然が聖(ひじり)で燧の名人だったことと,煙硝を知っていたこととは誰もまだ論じていない秘密です。  貴重な御著にケチをつけるわけではありません。著作のすばらしさは十分理解しております。あしからずおゆるし下さい。     1999.5.8.

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