リンク:五箇山の塩硝床図解
バイオテクノロジーだった五箇山塩硝
富山県東砺波郡平村は世界遺産に登録された大きな相倉合掌造り集落で有名だが,ここは日本最大の塩硝産地であったことでも知られている。(塩硝は隣の白川村も産地だったが,そこには現在は遺跡が残っていない。)上平村には塩硝の館と称する建物で,塩硝製造工程を展示している。蚕の糞やよもぎなどを床下に層状に積み上げた断面図がある。囲炉裏のまわりに塩硝床を作ったのは冬期の温度を高く保つ工夫である。塩硝に関する古文書など文献類や道具類は平村にある平村郷土館に展示されている。この郷土館では高田善太郎氏が中心となって全国から蒐集された資料が整理されている。
塩硝は硝酸カリウムであり,そのままでは発火しない。火のなかにくべれば溶融するだけだから,全く危険性はない。これを細かい粉にしてから,炭と硫黄の粉をまぜるとはじめて黒色火薬になる。したがってこの地には貯蔵設備(塩硝蔵)がない。潮解性があり防湿が必要である。
だが1999年5月16日に現地を訪ねて,高田善太郎氏から意外な事実を聞いた。「最近塩硝床を復活しようとしたが,塩硝の硝酸菌がいなくなっているらしく,塩硝は生成しなかった」と。さもあらんとはいえ,ショックであった。培養土は先祖代々のぬかみそや漬物と同じく,長年の培養で生産力がついていた。そのため,自然では70-80年を要したのが,ほぼ4年で塩が得られるようになった。これは日本人が生んだ今で言うバイオテクノロジーであった。
世界遺産登録はいいが,観光客を呼び,町は活性化したが,車の氾濫と,下水道の整備が自然破壊を呼び,ここでも水神様がいなくなったのだ。
どの家にも塩硝培養床があった
塩硝の館(http://www.jeims.co.jp/toyama-museum/gokayama.html)