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茶臼秘抄とは

『磑術』という茶臼秘伝書の筆記コピーが京都府立茶業研究所に保管されていた。同研究所のご好意によりこれを見せていただく機会を得たが、これは茶臼を理解する上で現存するもっとも詳しい資料なので、筆者が現物を求めて。それは犯人捜査並みの調査だった。『磑術』と称するこの資料は、「稼堂老人」なる人物が昭和四年に同研究所へ立寄ったさいに浄書したものとされている。金沢の茶屋に残されていた古文書を稼堂老人がみせてもらって抜書きしたものが主体となっている。金沢にあった古文書は、文政3年(1820)改め、天保13年再改め、という記載があることと、本文中にも文政3年と天保13年および嘉永2年の全剛砂の価格が出ていることから、大部分は少なくとも文政以前に書かれたらしい。まずこの書の入手の由来について、興味深い記述からはしまっている。茶臼のつくり方についての詳しい部分は省略し、重要部分を抄録しておく。(注は筆著が入れた)。「磨に家々の形あり。紹鴎の時代(1502-1555)まではやはり唐磨の形なり、今織部殿形に同じ。利休に至て、利休好みの形あり、切目を玉や切という。堂の切様とはちがうなり。茶の折に切箔のごとく至極細なり。上下のすり合い、上磨の芯木のきわみすこし、茶くばりのすき合ありて、下は一文字において(注−これはふくみのこと)切目を一筋は短く、一筋は長し。」(切箔のごとくというのは、微粉が圧片造粒されたものであろう)

 『磑術』の記述はつづく。「臼の石の中に星の如く少しずつ銀色のごときもあり、金色のごときもあり、銀のあるを「銀たれ」、金のあるを「金たれ」ということあり、これもいずれの茶臼石にも随分あるものにて、金たれ、銀たれというも及ばぬことなり」。これは輝緑岩の中に黄鉄鉱が入っていると金色、白雲母が入っていると銀色の輝きがみられることである。これが入っている臼は珍品扱いされる。一乗谷朝倉氏遣跡のは金たれの最たるものであった。

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